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― では、普段日本ではどういったお仕事をされているのですか?

「現在は東京の日本橋にある『石原和幸デザイン研究所』という会社を拠点に、日本各地のいろんなところでお仕事をさせて頂いています。リゾートホテルやレストラン、そして結婚式場など、最近は企業の方からの依頼が多いですね。東京だと、原宿の『ベニーレベニーレ』というイタリアンレストランのベランダは僕が作らせて頂いたので、もしよろしければ行ってご覧になって下さい。
あと、この間の春には札幌に行ってきました。4月だと、札幌にはお花がないんですよ。そこに僕が行って『お花を埋め尽くします』と。『それは無理でしょう』と言われましたが、結局4日かけて4トン車を運転してお花を持っていって、依頼された場所をお花でいっぱいにしてきました。それも一時的なものではなく、ちゃんと計算してあるので10月くらいまではもつはずです。普段お花が無い所にまでお花があるってすごく素敵ですよね。
こうやって毎回、面白いアイデアでいろんな場所を楽しませるのが僕の仕事です。きっと皆さんにびっくりして頂けるようなアイデアがまだまだたくさんありますので、ぜひ仕事を依頼して下さい。電話して頂ければ、すぐにお邪魔いたしますよ。」
― また、生まれ故郷の長崎でフラワーショップも開業されているそうですね?
「はい。僕はいつも、基本週末は長崎に帰るんです。そこで地元の方の個人庭を作ったりしながら、自分が経営している花屋を見ています。僕のキャリアの始まりはそもそも花屋さんなんですよ。20年前くらいですかね、当時は花屋のチェーン店を開業していたのですが、ある日配達で花の苗を持っていったんです。それまで僕は1度もお花を植えたことはなかったのですが、そこでいきなり『植えてみて』と言われて。で、適当にやってみたらすごく褒められたんですよ。それから『じゃあ、壁も作れるんじゃないか』と思ってやってみたら、それも褒められて。以後、ホームセンターでやり方を聞きながら自分でいろんなものを作るたび、皆に『すごくいいね』と言われたので、『ひょっとしたら自分は素質があるんじゃないか?』と思ってしまったんですよね(笑)。そういった流れで、花屋の経営だけでなく、庭作りもするようになっていきました。」
― では、花屋を開業するに至ったいきさつは?

「実は僕、小さい頃はモトクロスをやっていたんです。中学校の時から始めたのですが、全日本選手権に出場していたくらいだったんですよ。スポンサーもついてね。でも、19歳の時に近眼になってしまって。この競技をやる人間にとっては致命的なことでした。それで20歳の時に早くも引退したんです。そして22歳になり大学を卒業した頃、何か手に職をつけたいと思って、ある日突然生け花を始めたんですよ。男性が花を生けるなんてすごくかっこいいじゃないかと。ほんの前まではモトクロスだったのにいきなり(笑)。でも、実家が農家で花を市場に出荷したりもしていたので、小さい頃から馴染みはあったんですよね。
きっかけはそうした本当に単純なことだったのですが、実際に始めてみると、花の生け方とか育て方とか、それはもうすごく深い世界で。それでどんどんのめり込んでしまったんです。そして23歳の時にはもう、将来は花屋になると決めていましたね。」
― そして花屋になる決意した石原さんは路上販売の花屋さんで修行を開始。その後、パリに渡ったそうですね。
「パリと言えば『華の都』ですからね。まあ、字が違うんですけど(笑)。なんだかパリに行くと、すごくたくさんお花があるというイメージが当時の僕にはあったんです。
で、実際に行ってみるとすごく個性的な花屋さんがたくさんあったんですよ。白いお花だけを売っている店とか。しかも、あちらでは金曜日になると花屋に人が並んだりするんです。それを見てすごく驚きました。それで僕は、そういう花屋を自分でやりたいと思い、まずは路上販売を始めたんです。29歳の時でしたね。でも、当時は向こうに知り合いなんて誰もいないので、まずは直接生産者の所に行って花を買いに行く訳です。だけど当時はお金がないもんだから、免許を人質にして『今度払いにきますから』と(笑)。花を手に入れるだけでも必死でしたね。それでもなんとかバラの花を手に入れて。そしてシャンソンをかけながら、路上で販売を始めました。でも、僕の場合は通常の路上販売と違い、頼まれもしないのに『奥さん、ブーケ作りましょうか?』なんて話しかけて、ハンカチをポッと出してリボンをつけてあげたりする売り方でした。で、昼はそうやって路上でパフォーマンスをしながらお花を売って、夜は飲み屋に行ってお花を売って・・・と、当時はほぼ24時間、眠い目をこすりながら花を売っていましたね。
僕は今でもそうですが、趣味と生活と仕事が全部一緒なんです。日本に帰ってきてから花屋をスタートした当初なんか、店にいる時は店で寝て、車で生産地を回る時は車の中で寝るという生活を数年間続けていましたから。それでも辛かったなんて記憶は全然ないです。頭に浮かんでくるのは楽しいことばかりですよ。『あの花がもう1度見たい』とか。まだまだ世界中にはたくさんの植物がありますし、日本だけでも、まだ見たことがないものもたくさんあります。そういうものを見る度に感動してアレンジしたくなりますから・・・もう花に関する仕事は辞められないですね。」
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