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ラジオDJ山本シュウ
vol.166 義足のハイジャンパー 鈴木徹
鈴木徹 | Toru Suzuki Page Index
1980年、山梨県生まれ。駿台甲府高校時代にハンドボールで国体3位の記録を残す。1999年、自らが運転する車がガードレールに激突。右足膝下11cmを残して切断する。事故後、ハンドボールで復帰するために、リハビリの一環で走り高跳びを始める。競技開始からわずか3ヶ月でシドニーパラリンピックの標準記録をクリア。日本人初の高跳び選手として、シドニーパラリンピックに出場。2005年には日本で初めての「義足のプロアスリート」となり、パラリンピックワールドカップ、ヨーロッパ選手権で銀メダルを獲得し、世界ランキング2位に輝く。一方で、健常者の一般大会にも出場をし、2006年には東京陸上選手権で6位に入賞するなど、スポーツにおける「バリアフリー」を追求し、体現し続けている。また、「自らの可能性をあきらめない」をテーマに、学校を中心に講演会活動も精力的に行なっており、各地での実績を重ねている。

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『もし神様が右足をくれると言っても、僕は多分いらないって言うと思う』。これは決して強がりでもなんでもなく、鈴木さんは今、本当に幸せそうだ。きっと、鈴木さんのことだから、もし事故に遭わなかったとしても、それはそれで楽しくやっていたんだろうけど、鈴木さんの今の生活と、それを比べることは出来ない。スポーツの世界で活躍して、パラリンピックの旗手を務めて、愛する家族がいて・・・。鈴木さんの幸せに、足りないピースなんて何1つない。
『もっと運がよければ・・・』『もっといい環境にいれば・・・』。ついつい考えてしまうことだけれども、ほんとは、そんなことは、幸せとあんまり関係がない。『周りのせいにするということは、自分で責任を取らないことだと思うんです』。幸せそうにしている人はみんな、周りがどうであれ、自分から周囲に働きかけて、好きなことをやっている。もちろん失敗することもあるけれど、それはそれ。次の幸せに向かって、また立ち上がればいい。だって、自分で走って、自分でこけたんだから。鈴木さんの考えは、恐ろしいほどシンプルだ。怪我をしても、たとえ、片足を失っても、立ち上がって走り続ける。それ以外に、自分を幸せにする方法は無いから。ピュアでシンプル。人の強さって、結局はそういうことなのかもしれない。
  <Yusuke Sawaki>

「右足を失くしてから前向きになったかも・・・。」
シュウ:「鈴木君はいろんな所で講演をしたり、コラムの執筆もやってはるみたいですけど、あなたみたいな人はもっともっと人前に出ていったほうがいいよ。特に今。勇気をもらう人も多いと思う。右足を切断してからハイジャンプを始めたとか。どう考えてもめっちゃ前向きっていうか。」
鈴木:「事故の前はそうでもなかったんですけどね。右足を失くしてから前向きになったかも・・・。」
シュウ:「いやぁ、事故の前からちょっとおかしいよ(笑)。天然だよね。言われた事ない? だってさ、あなた昔、ハンドボールをやってたんでしょ?」
鈴木:「最初はバスケをやろうと思ったんですけど、練習がキツくて。それで他の部活を見てみたら、『ハンドボール、いいなあ』って。」
シュウ:「だってその頃、ハンドボールって宮崎大輔がいた訳でもないでしょ? そこからしてちょっと変わってるよね。だって、元々スポーツの世界でご飯を食べたいと思っていたんでしょ?」
鈴木:「確かに当時のハンドボールの人気は全然でしたね。まあ、スポーツ選手として食べていきたかったら、普通はサッカーとか野球を選びますもんね。・・・うーん、何でハンドボールにしたんでしょうね?(笑)。」
シュウ:「ちょっと変わってるよね(笑)。そう、まず鈴木君に会って、誰もが聞きたいと思うまず1つのポイントとしては・・・例えば、俺やったら喋る仕事をしてるよね。じゃあ、明日から声が出えへんようになったらどうする?ちゅうことよ。マラソン選手やったら、明日から足動かへん、どうする? って。鈴木君は、それを体験してる。プロとしてハンドボールをやっていくって決めていたのに、ある日事故で足を失ってしまった。でも、あなたは事故して10日くらいでもう立ち直ったんでしょ? ありえへんて。普通は車椅子乗って、そのまま病院の屋上行って金網壊して・・・って。」
鈴木:「親は僕がそうなるんじゃないかって思ったみたいですね。お父さんは、一週間くらい病院に泊まっていましたから。当時、病室から飛び降りたりする人が多かったらしくて・・・。僕は1回も思いませんでしたけど。本当に1回も。」
シュウ:「天然や・・・。」
鈴木:「どうにかしてスポーツやろうと思っていましたから。だって、もうそれしかない訳ですからね。勉強も音楽も絵もできなかった。本当に運動以外に何にも才能がなかったんですよ。スポーツしか、生きる道がなかった。他にあるんだったら、他にいってたかもしれません。」
シュウ:「いや、そうじゃなくて、鈴木君がすごいのは、そこまでの怪我をしたら、『ハンドボールはもう辞めなさい。あなたが今まで描いてきた夢は全部諦めなさい。今までの努力は全部水の泡ですよ』って突きつけられているようなもんやん? ってか、普通はそう考えるでしょ? それやのに・・・。」
鈴木:「はぁ・・・、そうは思わなかったですね。逆に、義足を付けても、今までの経験は活きると思っていましたからね。正直、すぐにできると思っていたんですよ。義足を付ければ、すぐに走れるって(笑)。」
シュウ:「もう、世界最高の天然やん!!(笑)」
鈴木:「本当にそんな感じだったんですよ。だから足を切断してからも、足がある自分のハンドボールのビデオ見ていましたし。親がビックリしてましたよ。『もう足が無いのに・・・』って。でも、義足を付けてプレーする事が僕の中では決まっていたんで。だから、これからはどういうプレーをしようかなと。」
シュウ:「普通はしばらく、周りもその話題は避けるよ。」
鈴木:「うーん・・・確かに見舞いに来てくれてた人がちょっと困ったりはしてましたね。みんな病室に入る前に、僕とどうやって接しようかと一生懸命考えてくれるみたいなんですけど、実際に喋ってみたら、僕があまりに普通なんで。逆に変な距離ができたり(笑)。」
シュウ:「そらそうやって〜! 普通は死ぬとか考えたりするよ。『もう生きててもしゃあない』とか。それを思わんっていうのがさあ・・・。
人間って誰でも『あの時ああしてなければ』っていうのがあるやんか。大抵の人はそれを心の中に隠して生きていく事もできるけど、鈴木君は足を膝下から失ったっていう、ある意味『しるし』がある訳だよね。毎日義足を付ける時にそれを見る。そこに勝ったんだよね。」
鈴木:「いや、まあ・・・でも、怪我をしたから今の自分があるので、そう考えると怪我をしてよかったと、本当に思いますね。」
シュウ:「だからそこよね。鈴木君の場合は、『あの事故がなかったら』じゃなくて、『あの事故があったから今がある』っていう風にベクトルを瞬時に変えてんな。それはもう、アスリートの能力というより、鈴木君個人のキャラクターなんやろうなぁ。あと世代。『こうあらねばならない』『こうじゃないと幸せにはなれない』っていう教育を受けて洗脳されてきた世代だと、それを失った瞬間にそこで『アウトや』ってなっちゃうもんなあ。ところが、今の若い子達の世代はそれが薄くなってるんよね。俺なんかも子供に何かあった時、飛び降りずに次に向かえるように育てたいと思ってんねん。要は『なんでもええねん』て。何やってもええ、そこでハッピーになれって。鈴木君は、28歳にしてそういうことをしっかり理解してる訳や。ほんまにすごいと思うよ。」
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