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vol.68 絵描き 瀧下和之
瀧下和之 | Kazuyuki Takishita keywords
1975年熊本県中央町(現:美里町)生まれ。2001年東京藝術大学大学院美術研究科デザイン専攻修了(中島千波研究室)。以後、全国の百貨店などを中心に、オリジナリティに溢れた作品で個展、グループ展を開催。個人での活動のみならず、2002年よりTYCOON GRAPHICSデザイナーの松尾紀之氏、ファッションブランドのDIET BUTCHER SLIM SKINのデザイナー深民尚氏、フォトグラファーの三戸建秀氏(昨年加入)とのコラボレーションユニット、GRAPPとしても活動中。
今回のゲストは、絵描きの瀧下和之さん。絵を描き、それを売ることで生活する者が画家であるとするならば、彼は日本で数少ない若手画家の1人である。
そんな瀧下さんの現在の絵のテーマは『桃太郎』。しかも、本来、敵役であるはずの鬼達が、なんとも生き生きとした愛嬌のある姿で描かれている。ご本人も「僕の絵を観て笑ってくれるくらいの方が嬉しいんです。『なんとなく楽しい』というようなスタンスで絵を楽しんでもらえたらいいですね」とおっしゃるが、まさにその通りの絵。そこで、ちょっと思ったことは、日本は芸術家の育ちづらい国だとよく言われるが、その大きな理由の1つとして、日本人が『楽しむ』ということの価値を忘れてしまったせいもあるのでは。他所の文化を与えられ、教えられてしまったせいなのか、『価値のあるもの=難しいもの』という図式ができてしまい、価値があるはずの芸術は、難しいものに違いないとでもいうような・・・。しかし、本来日本人は楽しむことに長けた民族であるはずだ。例えば、日本がこれほどの漫画大国となったのも、『所詮は漫画』という意識で、作り手も受け手も楽しむことに徹した結果なのではないだろうか。
自身を『絵描き』と称し、「『喜怒哀楽』の『喜』と『楽』を意識しながら、強く、優しい絵描きでありたいです」という彼のリラックスした言葉の裏には、新しい時代の画家としての、とてつもなく強い覚悟とプライドがあるに違いない。  <Shoji Smily>

「いつも本当に楽しみながら描いていますよ。」
― はじめまして。瀧下さんの肩書きは『絵描き』ということですが、なぜ、画家とかアーティストではなく『絵描き』なんですか?
「『アーティスト』では漠然としすぎているし、『画家』は・・・、なんだか壁を作っている感じがするので、今のテイストで描いてる間は『絵描き』と呼ばれる方がしっくりくるんです。35歳くらいになってもう1歩大人の階段を上ったら『絵描き』から『画家』に変えようと思っています。」
― 瀧下さんは『桃太郎図』をライフワークになさっているということですが、なんとも愛嬌があって生活感のある鬼の絵が印象的ですよね。でも、肝心の桃太郎が出てこないのですが…。
「『桃太郎図シリーズ』が自分のライフワークとなって約7年、これまで『桃太郎図』を350作くらい描きましたが、まだ桃太郎は出てきていません。正確には、熊本市現代美術館の個展用に描いた『イヌ・サル・キジにキビダンゴを差し出す右手』という作品で1度登場していますが(笑)。初期の構想では、単純に鬼を描くのが楽しかったので後回しにしていただけだったのですが、シリーズを進めていくうちに『桃太郎は出さないほうがいいんじゃないか?』と考えるようになりました。主人公であるはずの桃太郎を登場させないことが、イメージを掻き立てる1つの材料になっていて、絵を観てくれた人から、『画面の少し外に居るのでは?』とか、『作家本人が桃太郎?』とか、『観ている人が桃太郎?』などなど、様々な反応が返ってくるんです。なので、今のところ登場する予定はありませんが、まだまだ先が長いので、そのうち登場させたくなるかもしれませんね。一応500作が目標なので。500作と決めたのは、ある時誰かに『どれくらい描くの?』と聞かれて、つい勢いでそう言っちゃったというだけの理由なんですけどね(笑)。」



― 『桃太郎』をテーマにしようと思ったきっかけは何だったのですか?
「きっかけは大学院の時の卒業制作ですね。それまでは動物などの生き物を写実的に描いていたのですが、修了制作にはこれまでの作品とは違う、もっと『自分のイメージをぶつけられる作品』を創ろうと考え、その時偶然落書きしてた『鬼』を描こうと。で、ただ漠然と『鬼』を描くよりも何かもっとテーマを絞ろうと思い、昔話の『桃太郎』にしました。『桃太郎』は日本人だったら誰でも知っているお話ですが、実はそんなに深くも知らない話なので、イメージも膨らませやすいし、観る人も受け入れやすい、ちょうどいいテーマだと思いまして。絵のモチーフの大筋は桃太郎の原作ですが、それ以外にも細かい話を自分で考えて広げていっている、という感じですね。例えば『川で虎パンを洗濯してる鬼』や『楽しく酒を飲んでる鬼』など鬼目線での生活感ある場面を描いたりもするのですが、結構、違和感なく観てもらえますね。」
― 鬼というと、怖い、強いというのが普通のイメージだと思うのですが、瀧下さんの描く鬼は、なんともいえない愛嬌というか不思議な味がありますよね。なにか、制作上のコツとか秘密があるのですか?
「実は、下絵を利き手と逆の左手で描いているんです。鬼は実際に存在するものではないので、慣れない左手で描いて、偶然ずれてしまった線の方が逆にいい雰囲気が出るし、右手で描く作品はどうしてもバランスの良い形を描こうとしてしまい、いい意味でのアンバランスさが画面から消えてしまうんです。僕はイメージ重視なので、スケッチもしないでいきなりパネルに左手で描いていって、しかも描き直しもしません。最初に1発で描いた絵をそのまま活かして、そして今度は右手の彫刻刀でその線を彫っていって、色を付けるんです。今ではもう、左手も慣れてしまっているので、右手と同じくらい上手く描けてしまうのですが、失敗も有りだと割り切っている左手と、無意識のうちに良い形になるまで描き直そうとする右手だと制作中のモチベーションが全然違うし、『楽しく描こう』と思うとやっぱり左が1番ですね。いつも本当に楽しみながら描いていますよ。」
― 鬼を描く前から、絵に『日本』のテイストはあったのですか?
「ありましたね。僕は元々仏像や、襖に描かれている絵が好きなんです。で、それも創られたばかりの新しい作品ではなく、ある程度年月が経って、仏像だったら表面が剥がれて落ちてきていたり、絵だったら陽に焼けちゃっていたりと、古さが出ているようなものが好きですね。今の自分の作品でも、そういった古さは意識しています。自分が好きな日本的なものを、自然にモチーフとして選ぶようになったという感じですね。」
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「起きたらもう足下に絵があるんです。」
― やはり昔から絵に触れることの多い環境にあったのですか?
「もちろん絵を描くことは好きだったのですが、環境として芸術に触れる機会が多かったかと聞かれると、そうではないかもしれないですね。生まれた町も、本当に田舎で芸術とは全然馴染みが無い場所でしたし、実家は『瀧下酒店』という酒屋で、おそらく家系を遡っても絵描きは1人もいないと思います。ただ、自営業だったおかげで、家族みんないつも一緒で温かい環境だったし、美術の道に進むことにも反対もされず、東京に送り出してくれて。上京後、周りに聞くとそういう人ばかりではなかったので、後になって、恵まれていたんだなと感じるようになりましたね。」
― 小さい頃から画家を目指していたのですか?
「小さい頃は『この中学校に入って、この高校に入って・・・』と、高校入学くらいまでの未来しか考えていなかったですね。僕が中学生の時、高校に進学する際に、第1志望と第2志望の学校名を書かなければならない書類があったのですが、僕は当時第1志望の高校のことしか頭になくて、第2志望の欄を空欄にしていたんです。すると先生に『ここは絶対書きなさい』と言われたので、その欄を埋めるためだけに高校の一覧表を見て学校を探したんです。すると、その中で『美術科』というのがある高校があったんですよ。絵を描くことはずっと好きだったので、『じゃあ、ここでいいか』と軽い気持ちでその高校の名前を第2志望の欄に書いたんです。ところが、先生に『私もその高校のことはよく知らないから、ちょっと見学に行ってきなさい』と言われてしまったので、その高校に実際行ってみたんです。軽い気持ちで見学に行ったのですが、見学から帰る時にはもう『この高校に入学しよう!』と決めていましたね。その高校には美術の授業が週の半分くらいあって、とても面白そうだったんです。もちろんその分、美術以外の他の勉強の時間は少なくなっていたのですが(笑)。」

― (笑)。そして大学は名門、東京藝術大学のご出身ですよね。
「で、結局その高校に入学して、大学に進学する時も高校の先生に色々話を聞いていると、『東京藝術大学は美術の東大だ』とみんな言っていたので、『じゃあ、そこに行きたい』と思って(笑)。大学ではデザイン科に入ったのですが、その科の先生で中島千波という先生に出会ったんです。僕が非常に尊敬している画家の方でもあるのですが、今自分が絵描きになっているのは、あの方に出会ったからだと思っています。人との出会いは大切ですよね。もし大学で中島先生に出会っていなかったら、自分は絵描きになっていなかったと思います。」
― 絵を描くことが仕事になった今では、毎日どれくらいの時間を制作に費やしているのですか?
「基本的には自分が好きで描いているので、家にいる時はもう、寝ているか描いているか、という感じですね(笑)。ここ1、2年は多分最低でも1日7時間は描いていると思うので、月に最低210時間以上は絵を描いていることになりますね。友達に誘われて外に出ても、家に帰って来て、必ず絵を描いてから寝ますね。どんなに眠たくても絶対に描いてから眠ります。で、いつも描いている途中で寝ちゃっているので、起きたらもう足下に絵があるんです。それで、毎朝6時くらいから作業を始めますね。
以前1度機会があって、千住博先生という、僕が非常に尊敬している画家の方のお手伝いをさせていただいたことがあったんです。当然のことながら、僕のような若い人間の方が体力はあると思うのですが、僕が描いている時間よりも、千住先生が描いている時間の方がずっと長いんですよ。その時、『時間だけでもこの人以上にかけないと、追いつくのは無理だな』と思いました。これをきっかけに腹をくくることができましたね。僕にとっては重要なきっかけでした。」
― でも、自分の好きな絵を描いて生きていけるということは、すごくラッキーなことですよね。
「最近では、特に男性で芸術を志す人は減ってきている気がしますね。僕の大学でも、ファインアートの世界に身を置こうとする学生は、卒業時に学年で1人残っていればいいほうだと思います。僕の学年も、卒業後は大手の企業などに就職していった人間が多かったですね。もちろん、就職してからも自分のやりたいアートを創るためにハングリーに頑張っている人もいるとは思うのですが、続けられる人はやっぱり少ないですね。グラフィックなどのデザインとは違って、ファインアートは『それを買いたい!』と言ってくれる人がいないと話にならないので、やはり厳しい部分もありますから。僕も、絵だけで食べられるようになるまでは、いろんなバイトをしながら絵を描いていましたし。初めて自分の作品を買ってもらったのは、学生時代に、ある画廊さんで個展をさせていただいていた時でしたけど、すごく嬉しかったですね。」
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「畳の部屋じゃないと絵を描けないんです。」
― いつもテレビを観ながら描いているんだとか。
「テレビは重要ですね(笑)。絵を描いている時、テレビは必ず付いています。お笑いとか格闘技をよく観ます。プロレスも昔から大好きで、小さい頃はキン肉マンの絵を真似して描いていましたし、東京に来てからもプロレスはずっと観ていますね。そういう要素を絵に入れたりもしますよ。この絵なんか、鬼が四の字固めをしていますからね(笑)。ちなみにこの絵には他にも仕掛けとして、全体としてこの絵を観ると日の丸弁当のように見えるようにしているんですよ。
あと、僕のスタイルの特徴として、畳の部屋じゃないと絵を描けないんです。いつも畳の上に絵を置いて、畳の上であぐらをかいて前のめりになって描いていますね。」
― 面白いですね。描く時に音楽を聴いたりもしますか?
「音楽もよく聴きますよ。テレビを付けていない時はラジオかCDですね。音楽はテイ・トウワさんの音楽をよく聴きますね。そういえば1度、テイさんにイラストを使っていただいたことがあるんです。テイさんが『SWEET ROBOTS AGAINST THE MACHINE』名義でリリースしたセカンド・アルバムのブックレットの中に僕のイラストが入っています。でも、最近は夜型の生活になってきてしまっているので、眠くならないように(笑)、リンキンパークとか、ちょっとうるさいような音楽も聴いたりしていますね。」
― オフの時間はどのようにお過ごしですか?
「基本的にオフという時間は無くて、ひたすら絵を描いているんですが、たまに気分転換で買い物に行ったりはしますね。服屋を見に行ったり。あと、絵を描くこと以外だと…、うーん、寝ることくらいですかね(笑)。車の免許も無いですし、スポーツもやらないし(笑)。お酒も、友達に呼ばれたら一緒に飲みに行くというくらいですね。飲みに行った時は、僕はブランデーやウイスキーなどの洋酒は飲めないので、いつもビールか日本酒か焼酎を飲んでいますね。でも、あんまり飲み過ぎると眠くなっちゃうんですよ。家に帰って来てから絶対にまた絵を描くので、そこはちょっと気にしていますね。」
― 今、恋愛は?
「『恋』はしていますけど『恋愛』はしていないです(笑)。今、僕は本当に絵を描いていることが楽しいし、やらなきゃいけない時期なので、『家=職場』であって、『家=休む所』ではないし、あまりべったりされると、好きだった子でも嫌いになっちゃうんですよ。外に出て一緒にいる時はそれでもいいかもしれませんが、家で描いているときにもべったりされるとちょっと・・・。かのピカソも常に愛人がいて、恋愛が創作の原動力になっていたという話を聞きますが、さすがに家では1人で絵を描いていたんじゃないですかね。今は何よりも、絵を描くことが楽しいし、辞めようと思ったこともないし。この鬼シリーズを始めてからは、とにかく毎日ずっと描いていますからね。でも35歳くらいになったら、その時恋愛してる人と結婚しようかなと勝手に思っています(笑)。」
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「王道をスキップしながら進んでいきたいですね。」
― 瀧下さんはGRAPPというユニットのメンバーでもあるそうですね?
「仲間のファッションデザイナーやグラフィックデザイナー、カメラマンと一緒に作ったコラボレーションのユニットです。GRAPPという名前は、格闘技のジャンルである『GRAPPLE』から取っています。僕はとにかく楽しいことが好きで、この写真はそのユニットとしての作品というか、作品を創っている合間についでに撮ってもらったものですね(笑)。あまり他の人がやらないようなことをしてみたくて。
でも、楽しいというだけではなく、僕は、自分と同じかそれ以上のモチベーションを持った人と時間を共有することをとても大事に思っていて、GRAPPはそういう意味でもいい刺激になっています。みんな本業でものすごく良い仕事をしてるメンバーばかりなので、芯があるし、それぞれ専門が違う事もあって、GRAPPの作品を創る時は、自分のできる事や、やらなきゃいけない事がハッキリしている分、妥協すると恥をかくことになるんです。それに、この写真のように、他ジャンルの人と共同作業をすることで浮かぶアイディアというのもありますしね(笑)。
ちょうど7月25日から30日まで、横浜の赤レンガ倉庫で『EXHIBITION C−DEPOT』というイベントがあって、『GRAPP』としての作品を展示するんです。僕の出身大学の後輩を中心に20組くらいのアーティストが集まってそれぞれの作品を展示しているので、是非観に来てください。」
― 絵描きとしてこれからの目標はありますか?
「多くの人が身近に感じられるファインアートを創り続けたいですね。僕がいつも思っていることは、単純に、『多くの人に絵を観て楽しんでもらいたい』ということです。例えば、きれいな風景や花を見れば、誰でも『きれいだな』とは感じますけど、そこからまた違うイメージがどんどん膨らんでいって、『楽しい』になることはあまり無いですよね。僕は、作品を観た人のイメージをどんどん膨らませることができるような絵を描いていきたいんです。僕の描いた絵を家に飾れば、家にお客さんが来た時にもその絵を話題にできて、どんどんイメージが展開していくというような。だから、そのために、観た人が買ってくれそうな値段や、飾りやすいようなサイズを意識して作品を創ることもあります。もちろん、それだけでもダメですが。僕はいわゆる『難しい』絵は苦手なので、僕の絵を観て笑ってくれるくらいの方が嬉しいんです。『なんとなく楽しい』というようなスタンスで絵を楽しんでもらえたらいいですね。もっと沢山の人に作品を観ていただけるように、展示ももっとやっていこうと思っています。『多作の中に傑作が生まれる』、つまり、まずは沢山の作品を観ていただいて、その中で多くの気に入ってもらえた作品が傑作として人の心に残っていくのだと僕は思っていますから。イメージとしては、ファインアートの王道をスキップしながら進んでいきたいですね。
あとは、『若手』と呼ばれているうちに、名前と作品を印象づけられるような画集を創りたいと思っています。一般の人からすると『画家=画集が有る』という先入観もあるので、『ホントに画家なの〜?』と軽く見られている間に、『桃太郎図』を500点まで完成させてボリューム感たっぷりのものを作りたいです。もちろんアートディレクションはGRAPPメンバーにも協力してもらって、カッコイイものにしたいですね。」
― 作品を世界に出していこうという気持ちはありますか?
「ありますね。海外から発信された芸術をそのまま倣うのではなく、こちらからも発信していきたいです。そのことを考えた時にも、やっぱり日本的なモチーフのものを描くほうが、自分的にも自信を持って見せることができると思っています。でも、自分から世界に出て行って作品を発表していく、というよりは、僕は日本で描きつつ、誰かに世界に持って行ってもらう、あるいは、誰かが海外から僕の作品を買いに来てくれる、というのが理想ですね(笑)。」
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