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たばこワールド

栃木県代表「だるま葉」 北関東で出会った葉たばこ 3栃木県代表「だるま葉」
現在でも比較的数多く生産されている在来種が、栃木県や茨城県を中心に耕作されているだるま葉。この葉たばこは、栃木県那珂川町馬頭地区が発祥の地とされています。ここでは、馬頭にある「たばこ神社」に残された“たばこの和歌”についても解説します。
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“Daruma-ha”data file 〜だるま葉データ・ファイル〜
名称 達磨葉(だるまは)
主産地 栃木県那須郡など
名前の由来 創始者とされる相阿和尚の風貌が達磨大師に似ていたところから付いたとする説や、従来の葉たばこに比べ収量が多く、収入も多かったために福の神とあがめられ、いつの間にか達磨と呼ばれたとする説。また、幹丈の割に葉幅が広く、その樹形が達磨の像を想わせるという説など
葉の色 淡い緑色
葉の形 幅の広い、尖頭形の楕円
幹長 約161cm 最大葉長 約64cm
幹径 約2.9cm 最大葉幅 約39cm
全葉数 30枚
耕作の起源 元和2(1616)年に、馬頭(ばとう)にあった藤慶山香林寺の住職である相阿和尚が、上州(=群馬県)でたばこの種子を手に入れ、寺の境内でこのたばこの種子を栽培したのが始まりと伝えられる


全国一の生産量を誇った栃木県のだるま葉
  だるま葉の生産地として栄えた旧・馬頭町。明治31(1898)年に葉煙草専売法が敷かれると、同町には専売所が開設され、専売所に隣接して役場や商店街が登場し、町は専売局を中心として発展しました。
  また、専売所の真横には「煙草神社(=別雷神社)」があり、境内にある高さ3メートル近い「煙草創栽碑」の前に立つと、現在でも葉たばこの耕作に対する地元の耕作者の皆さんの強い思い入れを感じ取ることができます。
  大正時代に描かれた「各種葉煙草生産現勢之図」の中で、当時の日本で一番の生産高を誇っているのが“宇達磨”です。これは、宇都宮(=栃木県)の管理局地区内で生産されただるま葉の合計ですが、2位の阿波葉の2倍近くを栃木県で生産していたことが分かります。栃木県の葉たばこ栽培は明治34年以降、大部分がだるま葉の耕作地になり、大正末期から昭和初期にかけて38.000人前後の耕作者が葉たばこ栽培に従事していたといわれます。
藤慶山香林寺の跡地にたたずむ「相阿和尚の碑」
専売局の跡地に隣接する「煙草神社」の「左側の巨碑が「煙草創栽碑」
相阿せんべい
馬頭には「相阿せんべい」という名のせんべいがあります。相阿和尚の偉業をたたえたものであり、だるま葉と、だるまがキセルを吸っている図案が描かれています。
3種が1セットになった「馬頭観世音せんべい」。「相阿せんべい」のほかに、馬頭の名所・名物をモチーフにした「観世音せんべい」と「鮎せんべい」がある。
商品提供:森川屋
在来種よもやま話 part.3 「煙草神社」に残された“たばこの和歌”
  馬頭にある「煙草神社」には、旧・馬頭葉煙草専売所に飾られていたたばこにまつわる和歌の写しが保管されています。この和歌は、煙草専売法が実施された翌年の明治38(1905)年に、専売局から発売された6種類の細刻みたばこの銘柄が題材になっています。
  「煙草官業専売となりてを祝して其六種をよめる歌」と題された和歌の作者は、江戸末期の公卿であり、明治時代の政治家である東久世道禧(ひがしくぜ みちとみ)といわれます。歌の内容は、銘柄とたばこの香りをかけたしゃれた作りで、キセルを用いる細刻みたばこならではの嗜み方を伝えているようです。
  この和歌がどのような経緯で詠まれたものなのかははっきりとしませんが、専売制が施行された当時は、多くの政治家や文化人が政治的な話題として煙草専売法に触れ、和歌や書を数多く残しました。これもこのような経緯で生まれたものの1つとして考えられています。
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