特別展Exhibition

はじめに

 


 1945(昭和20)年8月15日、何百万人という多くの人々の命を奪った戦争は、 日本の敗戦という形で終結を迎えました。
 戦争中、人々はきびしい節約を強いられ、空襲から逃げ惑い、命の保証もな い日々を過ごしていました。終戦直後は、空襲こそなくなりましたが、日常の 生活には、相変わらず様々な苦労が待っていました。というのも、極度の物不 足の中生活必需品さえ容易には手に入らず、庶民の生活は、ヤミ物資によって やっと成り立っていたのです。ヤミ物資は、もちろん違法に流通する品々です。 しかし、1947年10月11日、職業柄ヤミ物資を口にしなかった山口良忠判事は、 栄養失調で絶命してしまいました。実際のところ、食糧配給の遅配や欠配が続 く中、生きていくためには、人々はヤミ物資に頼らざるを得なかったのです。
 専売品であったたばこや塩についても、当時は生産量が極端に落ち込んでい ました。特にたばこの配給は、終戦直後は一人一日3本という少なさで、とて も需要を賄いきれる量ではありませんでした。例に漏れずヤミ取引きが横行し、 葉たばこの横流し、私製たばこや偽造品の販売が、日常的に行われていました。 しかし当時、たばこや塩からの税収は、実に国家予算の約5分の1を占めてい ました。復興のための財源確保という意味でも、たばこからの収益を上げるこ とは不可欠で、ヤミ取引きの取締強化は重要な課題となっていたのです。専売 監視官が各地に配置され、当時のポスターにも、生産者、買付けブローカー、 あるいは消費者に対しヤミ取引きの一掃を訴えかけているものが多く見られま す。
 展示では、終戦直後のポスターを通し、戦後の混乱の中、人々がヤミ物資に 手を染めながらもたくましく生きていく姿や、たばこ・塩を例にヤミの取締り の様子を紹介します。物が溢れる現在からは想像もつかないような50年前の 日本の姿を、たばこや塩に関係する資料を通してご覧下さい。

たばこと塩の博物館
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