特別展Exhibition

鶴屋喜右衛門

通油町北側中程

 江戸の鶴屋喜右衛門は、京都二条通りの本屋である鶴屋喜右衛門の江戸出店として出発しており、早い時期から書物問屋として出版を行っていた。また、地本(じほん)と呼ばれる草双紙や浮世絵の発達に伴い、そのような大衆向け出版物も多く手掛け、江戸の大版元として君臨した。山東京伝(さんとうきょうでん)など、人気作者とのつながりも強く、京伝が寛政5年(1793)暮にたばこ入れ店を開店する際には、蔦屋重三郎とともにその資金捻出の手助けをしている。また、寛政11年と同13年(1801)には、同じく蔦屋と共同で京伝の『忠臣水滸伝』を出版しているが、これは江戸で出版された最初の読本(よみほん)(それまでは、読本というジャンルの書物は上方で出版されていた)と位置付けられている。
 化政期(I804〜1830)の鶴屋喜右衛門の出版物では、曲亭馬琴(きょくていばきん)の『傾城水滸伝(けいせいすいこでん)』−文政8年(1825)〜天保6年(1835)−と柳亭種彦(りゅうていたねひこ)の『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』−文政12年(1829)〜天保13年(I842)−が著名で、ともに当時のベストセラーとなっている。また、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛』−享和2年(1802)〜文政5年(1822)−は村田屋次郎兵衛の出版であるが、文化4年(1807)3月に初編から六編までの販売を上方で始める際、まだ村田屋が書物問屋の仲間に加わっていなかったのか、村田屋と鶴屋の連名の売出しとし、書物問屋仲間からその権利を獲得している。当時、鶴屋喜右衛門は、このような形でもベストセラーの販売に関わり、経営を行っていたが、浮世絵の方は、天明〜寛政(1781〜1801)の頃に比べると、出版数は少なかったと見られる。続く天保期 (1830〜1844)、歌川広重の「東海道五十三次」シリーズの出版にも一部関わっていたが、天保改革のため『偐紫田舎源氏』が天保13年6月に絶版になり、大きな痛手を被っている。

 

東海道 袋井
「東海道五十三次之内 袋井」

江戸名所
「江戸名所図会」より


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