特別展Exhibition

歌舞伎と拳

 嘉永期(1848〜1854)には、江戸での拳の大流行をうけて、歌舞伎の浄瑠璃にも、盛んに拳が取り入れられた。弘化4年正月に河原崎座で上演された「とてつる拳」は、そのはしりである。
 「とてつる拳」をはじめ、その後の「つく物拳」「鶴亀蓬莱拳」など、歌舞伎の舞踊に取込まれた拳には特別な名前がつけられている。しかしこれらは、拳を行う前の舞踊から名付けられていることが多い。鶴・亀・松や日本・唐土(中国)・天竺(インド)といった新しい三すくみの関係が考案されているものもあるが、多くの場合、行う拳は、当時大流行していた狐拳である。
道化拳合ボタン 「道化拳合」
歌川国芳画 伊場屋仙三郎版
弘化4年(1847) 大判錦絵
『藤岡屋日記』にも写された絵。ガマ・キツネ・トラは役者の似顔絵になっていて、それぞれ虫拳・狐拳・虎拳を表している。この絵のようにガマ・キツネ・トラを擬人化した「とてつる拳」の絵は、数多く確認されている。


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 歌舞伎で上演された拳は、浮世絵でも多数確認できる。その中には、唄の文句をはじめ、役者が演じた舞踊の身振りを解説したものなどが見られる。これらの浮世絵を通して、江戸庶民は文句や振りを覚え、拳そのものの流行をさらに広げていったのであろう。
 なお、「とてつる拳」が上演されたころは、天保改革の出版統制を意識してか、絵師たちはまだ、誰とはっきりわかる似顔で役者を描くことを躊躇していたらしい。「とてつる拳」では、大部分の絵は、役者の顔はガマ・虎・狐、あるいは子ども、あるいは女性の顔に描き替えられている。また、その直後に上演された「つく物拳」でも、役者の顔は挟(はさみ)箱やお猪口、三味線などの器物に描き替えられているものが多く見られる。その後に上演された拳を描いた絵では、ほとんどの場合、役者は似顔で描かれているが、拳が流行し歌舞伎関係の拳の絵が多数出版された弘化から文久にかけての時期は、実際のところ出版統制に対する自粛が弱まっていく時期とも重なっている。そのため、拳の絵に見られる役者の描き方の変化は、当時の出版統制のあり方を考える上でも指標になる。
三国拳ボタン 「三国拳」
三代歌川豊国画 小林泰治郎版
嘉永元年(1848) 大判錦絵


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