サムライ編
刀一本を携え、
広い世界へ。
殺陣が導いた私の旅
ニューヨークを拠点に、日本の伝統芸能「殺陣」を広める香純 恭さん。自宅の地下室での小さな稽古場で始めた道場は、国際連合の関連イベントや海外式典での演武へとつながり、活動は大きく広がり続けています。そこには、技術を超えた“ある信念”がありました。
香純さんは、幼い頃からアクション俳優に憧れていたそうですね。そこからどのように殺陣と出会ったのでしょうか?
そもそもアクション俳優に憧れたきっかけは、子どもの頃に観た『チャーリーズ・エンジェル』や『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』。女性が戦うアクションや、自分と同世代のキー・ホイ・クァンの姿に強く影響を受け、大学卒業後は芸能の世界で活動していました。
そんな中、知人に誘われて殺陣の道場を見学する機会が訪れたんです。簡単なレクチャーを受けて、初めて刀を振った瞬間、雷に打たれたような衝撃を覚えました。相手が私の動きに合わせて切られていく“演武”を体感し、「これがやりたかったんだ!」という強い想いが込み上げ、そこからどんどん殺陣の世界に魅了されていきました。
その体験がきっかけとなって、殺陣の道場に入門されたのですね。
いえ、実は一度入門を断られたのですが、それでも諦めきれなくて1年間通い続けました。当時は女性が少なく、女子更衣室もありませんでした。しかし、通い続けていたらカーテンで仕切られた手作りの女子更衣室が。やがて専用の更衣室ができ、正式に弟子入りができた時は、自分の熱意を認めてもらえたようでうれしかったですね。
その後、ご家族の都合で渡米し、一度は日本に戻るものの再び渡米されています。
はい。2度目の渡米では、夫と3人の子どもと、腰を据えてアメリカに住むつもりで行きました。どうしても殺陣とは離れたくなくて、師匠に「アメリカで道場を持ちたいです」と伝えたら、「暴れてくれ」との強いエールをいただいて。本格的に道場を始めることにしました。渡米後は、育児と両立するために自宅の地下室を道場に改装して殺陣の指導を始めました。
異国での活動は、相当なご苦労があったものと思います。
当然ながら、日本で培ってきた常識は全く通用しないんです。アメリカは多様な人種のるつぼですから、文化も考え方も人によって大きく異なります。例えば、日本であれば道場の掃除は門下生として当たり前に行うものですが、それが大きなクレームになったことがあります。話を聞けば、「うちの子を掃除夫にするために道場に入れたのではない」と。アメリカの小中学校では、掃除は担当の人が行うもの、というのが常識なんですね。
文化の違いに直面したのですね。それはどのように乗り越えたのでしょうか。
そのような背景を踏まえて、掃除というものはただキレイにするためだけの行為ではないと伝えました。日本では道場そのものに感謝したり、大切にする気持ちを示すために掃除をしますよね。殺陣の道場もその精神を大事にしている、と説明すると、納得して協力してくれるようになりました。
このような体験から、「自分はマイノリティである」ということが真に理解できました。それまでは、なぜ自分の考えが理解されないのか、なぜトラブルが起きるのかと悩むことも多くありました。でも、自分はマイノリティだからこそ、“自分の常識感覚”に頼ってはいけない。丁寧に対話を重ね、理解してもらう必要がある――そんな自覚ができたことで、相手の文化や背景をきちんと知り、こちらの事情も伝えることが、問題解決につながるのだと気づきました。それ以降は、トラブルが起きても、「新しい文化に気づくチャンス」と捉えられるようになりましたね。反発するのではなく対話することで、かつてトラブルになった相手が、今では強い味方になってくれていることも多いんですよ。
そのような数々の困難を乗り越えられたのはなぜなのでしょうか?
まず一つ目の理由は、殺陣そのものの魅力が私を支えてくれたからです。私にとって殺陣は、先人たちの智徳が詰まった、「日本が誇るパフォーミングアーツ」。自分の技をただ発揮するのではなく、相手が安全に技を受けられるように、相手の呼吸や間合いを感じとって動くことが欠かせません。互いを思いやることで初めて一つの“命のやりとり”が成立する。その精神性こそが、私の心を豊かにさせてくれるのだと思います。
殺陣の道に入って長くなりましたが、今でも稽古をしていて突然、先人たちの考え方や覚悟に、はっと気づかされる瞬間があります。この素晴らしい営みを、広く海外にも伝えたい、そして、後進たちが長く紡いでいけるようなバトンを渡したい――そんな想いがあるからこそ続けられるのでしょうね。
そしてもう一つの理由は、活動の過程で、“執着を手放す”という考え方にたどり着けたからです。かつて、育児・家事・道場運営に追われる中で、「全部やり切らなきゃ」「こうあるべきだ」と自分を縛り続けていた時期がありました。限界を感じた瞬間、「もうやめてもいい」と自分に許可を出したことで、心がふっと軽くなったんです。
そこから、 “しなきゃ”や“すべき”という思い込みや固定観念は視界を曇らせ、本来見えるはずの光さえ見えなくしてしまうのだと学びました。また、「海外だからこそ負けずに、絶対こうならなくちゃ」という私自身の思いや執着が自分の首を絞めてしまう事もあり、過度な執着こそが前進を妨げると痛感しました。だからこそ、一度“更地”に戻るように執着を手放す。それだけで視界が開け、目の前のことにまっすぐ向き合えるようになり、結果として困難も乗り越えられるようになりました。
最後に、香純さんの「心豊か」な生き方に共感する読者の皆さんへ、メッセージをお願いします。
まず、あまり石橋を叩きすぎずに、とにかく一歩踏み出してみてほしいですね。失敗やトラブルも、新たな学びのきっかけ、いわば「最高のビタミン」。自分にとっての一番の糧になります。そんな前向きな情熱こそが人生最強のエンジンになりますから、受動的ではなく、是非、能動的に前へ進んでみてください。
そして、どうしても辛い時は「しなくてもいい」と自分を許す選択肢を持つことも大切です。大丈夫、死にはしませんから(笑)。恐れも含めて、自分のやりたいことへの第一歩だと捉えれば、きっと勇気も湧くでしょう。皆さんの人生が、豊かで輝くものになるよう、心から応援しています。
プロフィール
- 香純 恭さん
- 東京都生まれ。TATE Hatoryu NY(殺陣波濤流NY本部)代表。1998年に藝道殺陣「波濤流」高瀬道場に入門。殺陣やアクションを学んだのち、2回渡米。2度目の渡米後である2014年に藝道殺陣波濤流NY本部を設立。殺陣やアクションの指導のみならず、アクション監督、プロデューサーとしても活躍。