『私を変えた出会い』

鈴木 敏夫さん

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無類の映画好き。仕事に鍛えられた

「松山市には何かと縁がありまして、道後温泉にはスタジオジブリ全員で社員旅行したこともあります」

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── 雪駄(せった)姿、すてきですね。
「年中同じ格好。アカデミー賞の授賞式もこれで行きました。皆さんタキシード姿の中、上下8千円の作務衣(さむえ)姿の僕が一番目立ちましたね」

── どんな幼少期を過ごされたのですか。
「僕は現在68歳ですが、子どもの頃、ほとんどの家庭にテレビはなく、映画が唯一の楽しみでした。1週間に最低1回は映画館に通ってました。年間50回。2本見るから100本は見ていました。父と母が出会ったのも映画館。おやじは日本映画、おふくろは洋画が好き。僕は双方の影響で両方見ました。おかげで食わず嫌いはなく、どんな映画でも見ちゃいます。最近では『君の名は。』(2016年)がおもしろかった。この映画はキャラクターより背景が主人公。ストーリーも音楽もすべては背景を際立たせるため。後で聞いたら、新海誠監督が背景を担当していました。作画監督の安藤雅司氏はスタジオジブリにいて『もののけ姫』(1997年)『千と千尋の神隠し』(2001年)を手掛けています。『千と千尋―』の影響が随所にうかがえますね」

── 現在、スタジオジブリの最新作『レッドタートル ある島の物語』(マイケル・デュドク・ドゥ・ビット監督)が上映されています。ほぼ10年の歳月をかけた作品。ご苦労もあったのでは。
「マイケルが手掛けた『岸辺のふたり』(2000年)はたった8分間で一人の女性の一生を描いた名作。これを見て『長編をつくってみないか』と持ちかけました。長編のオファーは他にもあったようですが、『ジブリが手伝ってくれるなら』と受けてくれました。なぜジブリなのか。『ジブリ作品を見ていたら、監督が自分の思うように映画を作れることが分かるからだ』と。制作にはヨーロッパ各地からスタッフが集まりましたが、(長編の引退宣言をしている)宮崎駿監督がこの映画を見て『これを描いた人たちはどこにいるの。この人たちがいるのなら、俺もやれる』と言うんですよ。燃えたんですね。この映画が火を付けたんですよ。作り手として打ち震えたんだと思います」

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── 『レッドタートル―』はせりふ、言葉がない映画です。
「せりふがないと映像を見ますよね。実は、マイケルはせりふをちょっと入れるつもりだったが、僕はいらないと言った。せりふがない方がもっと映画に集中し、映画の意味を考えるんです。彼はずいぶん悩みましたが、僕はそういう映画を作ってみたいからと。僕にとってこの映画を作ることは『本当に好きな映画を作ること』でした。制作中に思い出したのは『風の谷のナウシカ』(1984年)。あのときは作るのが楽しくて仕方ありませんでした。純粋な自分に戻って作ったので、『レッドタートル―』は忘れられない作品となりました」

── プロデューサーってどんな仕事ですか。
「何を作るかを決め、どのくらいの予算でどういうスケジュール、スタッフでやるかを考え、実行に移す。プロデューサーって人のことしか考えませんね。常に人のことばかり考えています。いろんな人に相談を持ち掛けられるし。でも、思わぬ効能もあります。自分のことを考えたら不安になるんでしょうが、人のこと考えるので心が安定するんですよ」

── 高畑勲、宮崎駿両監督はじめたくさんの出会いと鈴木さんのプロデュースがあって、多くのヒット作が誕生したのですね。
「僕は一番損な役割ですよ。あの2人がこういう映画を作りたいとか熱い感じで行く。結局すごい予算がかかるわけです。よくぞそんなに金使えるなあと。これも才能ですよね。宮崎さんと高畑さんのおかげで、何を言われても平気になりました。ある意味、鍛えられましたね。あの2人はお金は使ったけど、いいものを作ってくれましたから。たぶん私の最後の仕事は2人のお葬式です(笑)。盛大にやりたいと思っています」

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