講演レビュー

01.31(WED)佐賀

篠原 信一さん

規格外

無理やり入らされた柔道部

小さい頃は山や川で遊びまわる日々で、柔道とは全く無縁でした。柔道との出合いは中学生。ちょうど入学したときに、柔道部ができたんですね。体が大きかったので、先生から無理やり入部させられたんですよ。興味もないし、さぼってばかりいました。

中学卒業後は就職する予定でしたが、兵庫県の育英高校の柔道部の先生に誘われて進学。「嫌ならやめればいいや」という安易な気持ちでしたね。毎朝1時間トレーニング、昼休みは棒のぼり、放課後の練習は約4時間とハードでした。でも、先生がむちゃくちゃ怖くて「辞めたい」と言えなかったんですよ。

大学にも進学する気はなかったんですが、最後は先生に押し切られて天理大学に入学しました。柔道部には世界王者になりたいつわものばかり。毎日投げられ抑え込まれて、「本当に嫌だ。辞めたい」。でも、同級生みんな同じ気持ちでした。「もうちょっと頑張ろう」と励まし合って、1年間、乗り切りましたよ。

俺にもできる―目標は世界チャンピオン

転機は大学3年生のとき。全日本学生選手権で優勝し、初めて「僕にもできるんだ」と、柔道人生が変わりました。大きな大会での優勝が目標になり、練習も自らやるようになりました。

ところが大学を卒業した1995年世界柔道選手権大会(幕張)は無差別級3位。1997年フランス・パリ大会95㎏超級は反則負け。初出場、初優勝する人は何人もいる中、俺には無理なんじゃないかなと思うこともありました。でも目標を持った以上は必ず優勝したい。目標達成に6年かかりましたが、1999年イギリス・バーミンガムの大会で100㎏超級と無差別級でダブル優勝。気持ちよかったですね。

気持ちの切り替えができなかったから負けた

翌年のシドニーの大会は、「篠原 金メダル間違いなし」と期待がかかります。私も金を取ると思っていました。でも結果は銀でした。決勝戦、僕は内股すかしで1本取ったと思ったのに、審判は有効の判断。試合中、ずっと「今のは1本だろう」と思っていました。しかも、なぜか相手に有効がついている。これままでは負ける。焦って技をかけますが返され時間が来ました。

皆さんは誤審で篠原が泣いていたと思われたかもしれませんが、違います。なぜ1本にこだわって、気持ちを切り替えられなかったのか。切り替えていたら結果は違っていたかもしれない。柔道は心技一体。大切なのは心です。これまで何1つ学んでなかったと思った瞬間に涙がこぼれました。

多くの人に柔道の楽しさ伝えて恩返し

日本代表監督として出場したロンドンの大会では史上初の金メダルなし。指導者には向いてない。40歳のとき指導者の立場から離れることを決断しました。今は、篠原の話を聞いていると柔道は楽しそうだな、見に行こうというファンが増えるように、多くの人に柔道を伝えていきたいと思います。それが恩師や柔道界への恩返しになると思っています。

柔道をやっていたときは家族との時間がとれなかったので、今は仕事の合間に、妻と一緒にバイクでツーリングに出たりしています。バイクを降りて景色を見ながら、タバコで一服するのが、僕のほっとする大切なひと時になりました。