井上琴絵選手のインタビュー

JTマーヴェラスのリベロ、井上琴絵選手のインタビューです。

もっともっと上手くなりたい

自分で拾って自分で打ちに行く

小さいころから、走ったり、サッカーをしたり、キャッチボールをしたり……。とにかく身体を動かすのがすごい好きだったんです。だから、姉がバレーボールを始めて、それについて行くうちに、私もバレーボールを始めていました。小学3年生のときですね。そのあと、小学校ではずっとバレーボールを続けていました。

花山中学校(京都府京都市)に入学したときに、「ちょっと違うスポーツをやってみたいな」と思って、姉が入っていたバスケットボール部に入部したんですけど、バレーボール部の先生に声を掛けてもらったこともあって、やっぱりバレーボールがしたくなり、1年生の冬に、改めてバレーボール部に入部したんです。

一つ上の代にケイキさん(西山慶樹さん/元JTマーヴェラス)がいました。その代は強かったんで、いろいろな試合で勝てていたのがすごいうれしかったんですけど、自分たちの代は全然勝てなくて……。自分の代で成績を出せなかったのが悔しかったなという想いはあります。当時、ポジションはセンター(=ミドルブロッカー)だったんですけど、ポジションはほとんど関係なくて、自分で拾って自分で打ちに行くというような感じで(笑)。前衛でも後衛でも、全部やっていましたね。

中学校卒業後は、バレーボールが強いかどうかは関係なく、公立の高校に行こうと思っていたんです。でも、中学校の先生に「どうせバレーボールをやるなら、強いところでやったほうがいい」と言われて。3年生のときにインターハイを見に連れて行ってもらったんです。そのときに、準決勝の京都橘高校(京都府京都市)と九州文化学園高校(長崎県佐世保市)の試合を見て、「あ、すごいなぁ」って思って。それで、「バレーボールの強い学校に行こう」と決心して、京都橘高校に進学しました。

始めのうちは試合には出してもらえず、3年生が卒業して新チームになっても、なかなか試合に出られなかったんです。でも、冬に開催された「近畿私学大会」で、試合に出ていたチームメートの調子がたまたま悪くて……その選手の代わりに私が試合に出たんです。この大会では優勝できなかったけど、そのすぐ後に行われた「全国私学大会」では、最初から使ってもらえて、優勝を経験することができました。そこから試合で使ってもらえるようになりました。

「何でもできる選手になれ」って言われて

この「全国私学大会」のときは、リベロに転向していました。理由は……背がちっちゃかったからです(笑)。でも、もし背が伸びたらアタッカーになるかもしれないと言われていたので、スパイクもブロックもサーブも全部、ずっと練習はしていました。
それに監督の三輪先生(三輪欣之さん/京都橘高校監督)からは「何でもできる選手になれ」って言われていたので。これは自分に限らず、全員が言われていたことなんですけど。「“拾う”“トスを上げる” “打つ”“止める”というプレー全部ができる選手が一番いいんや」と。だから、「それを目指して頑張ろう」って思って。

二段トスの練習もすごくしました。うちはセッターが1本目を取ったら、攻撃枚数を増やすためにリベロである自分が2本目を上げるという約束だったので。セッターをやったことはないんですけど、オーバーパスは得意なので、「こうしたら面白いな」と若干遊び心も入れながら(笑)、ジャンプトスで両サイドに上げるのはもちろん、バックアタックや速攻など、いろいろなトスを上げていました。でも、JTマーヴェラスでは、今はセッターが1本目を取ったらミドルブロッカーがトスを上げることになっているので、試合で私のトスが見られたら、レアですね(笑)。

三輪先生は……なんか、もう全部がすごいです。誰に対しても厳しいし、一言パッて言わはっただけなのに、その言葉にはすごい意味が多くて。それを最初は全然理解できなかったんですけど、年を重ねるごとに「あ、そんな意味もあるんだ」みたいな(笑)。具体的な言葉はすぐには出てこないんですけど……、厳しいけれど、その中には温かい空気というか、温かいと思える部分もあるし……。でも練習中は本当に厳しかったです(笑)。
先生からよく言われていたのは、「バレーボールだけをしていてもダメ」で、「人として成長できひんかったらバレーボールをやっている意味はない」ということで。生活面であってもバレーボールの面であっても手を抜けないというか……。学校だったら「全校生徒の模範生になれ」と。「人としてどうか」ということを一番言われていましたし、部室にもそういうことを書いた紙が貼ってありましたね。

日本一になるために京都橘高校に入ってやってきたんで

1年生の3月には春高バレーに出場しました。この大会は、自分にとって初めての全国大会だったんですけど、準優勝することができたんです。それがうれしくて。 このときは、2回戦で負けかけたんですけど、何とか勝って……。そこから勢いづいて決勝に進出しました。決勝の相手は東九州龍谷高校(大分県中津市)でした。向こうには、JTマーヴェラスに一緒に入部した、河合(河合由貴さん/元JTマーヴェラス)や川原(川原麻実さん/元JTマーヴェラス)がいました。東九州龍谷高校とは、それまで何度も一緒に合宿をしたり練習試合をしたりしていて、そこでは勝っていたのに、春高バレーの決勝では負けてしまったんですよね……。決勝はセンターコートで試合をしますし、観客もとても多くて……。国立代々木競技場第一体育館だから、すごい天井も高かったし……。空気に飲まれましたね。高校に入るまで、春高バレーも知らなかったのに「なんかすごいとこまで来たなぁ」という感じでした。それでも、準優勝という結果を残せたことは、とてもうれしかったです。

でも、その後は全然勝てなくなってしまって……。自分たちの代になった次の年の春高バレーは、初戦で負けてしまったんですよ。それで、三輪先生にすごく怒られて。自分たちも、やっぱり日本一になるために京都橘高校に入ってやってきたんで、みんなで「絶対結果を出したいな」って言ってて。

その年は、三輪先生が全日本ジュニアのコーチをしていたこともあって、特に夏の間はそっちの合宿に参加しているから、自分たちで練習することが多かったんです。「先生がいなかったから結果が出なかった」と言われたくなかったから、みんなで「自分たちで厳しくしよう」って言いながら練習していたんです。それで、それぞれに自覚が芽生えたというか、「絶対に勝ちたい」っていう想いが高まっていって。そんな中、近畿大会では勝てたけれど、インターハイではまた負けてしまって……。残っている大会があとは国体しかなかったから、本当に最後の最後で……「絶対に国体で日本一になろう」って言って、みんなで頑張りましたね。

その成果が出たのか、国体ではなんか全員がとても調子がよかったんです。うちはすごい速いバレーボールをしていたんですけど、歯車が合ったというか、全部上手いこといって、自分たちのバレーボールを展開し続けることができました。
そしてたどり着いた決勝の相手は東九州龍谷高校で。やっぱり「そこに勝たないと、自分たちも納得がいかない」というのもあって、最後に東九州龍谷高校と戦って勝てたのはすごいうれしかったですね。実は、国体前の練習試合では全部負けていたんで。練習試合をしているときは「なんで勝てないんだろう」という感じだったんですけど、全然違いました。国体では。試合前に三輪先生にも「今までのことは気にするな!」と言われましたし、“相手の調子がどうだ”というよりは、“自分たちのことをしっかりやれば勝てる”という感じで。決勝までのどの試合でも「自分たちのバレーボールをしよう」「自分のためにやるんじゃなくて、試合に出られなかった仲間のためにやろう!」とみんなで口々に言いながらやっていたので、結果が出たんじゃないかなと思います。

自分の持ち味を生かせるんじゃないかなと

私が高校で速いバレーボールをしていたこともあって、すごい速いバレーボールをするJTマーヴェラスなら、自分の持ち味を生かせるんじゃないかなと思ったことが、入部の決め手です。それに、杉原部長(杉原香一元JTマーヴェラス部長)に熱心に声を掛けてもらったこと、高校時代に何度も戦ってきた、河合と川原が入るのも聞いていたので、今度は一緒にやりたいなというのもあって。
実際に入ってみて、JTマーヴェラスは、選手同士がみんな仲がいいことにびっくりしました。入部したてのときも、先輩から声を掛けてもらったりすることが多かったので、すごくなじみやすかったと思います。中学・高校の先輩であるケイキさんもいたので、その辺もやりやすかったですね。それに、やっぱり河合と川原の存在は大きかったです。3人とも仲がよかったので、いいことも悪いことも何でも言い合えましたし。試合でも、2人と一緒にコートに立てたときはすごいうれしかったし、私がレシーブして、河合がトスをして、川原がスパイクを決めるというパターンが出たときは、本当にうれしかったですね。

1年目から試合に出させてもらっていますが、知らない間に……という感じでした。入部してすぐの練習のときに、急に「レギュラーチームに入って練習しろ」と言われて。いきなりのことでびっくりしたんですけど、使ってもらえたことがすごくうれしくて。その後に開催された「黒鷲旗」に出してもらって、その年の「2008/09V・プレミアリーグ」でもずっと使ってもらいました。
でもリーグでは、自分のプレーが全然できなくて……。フォームが崩れてサーブレシーブが全然返らなくなって、本当にみんなに迷惑を掛けてしまっていたし。こんなに崩れているのに、何で代えてもらえないんだろうみたいな。正直、「試合に出たくない」って思ったときもあったんですけど、やっぱり出る以上はしっかりやらなきゃいけないなと思っていたので。すごい苦しかったんですけど……、そこがあったから“後は上るしかない”というか。そこがあったから、今、頑張れるんじゃないかなと思います。

ディグの面白いところは、相手との駆け引き

サーブレシーブに関しては、石原さん(石原昭久さん/元JTマーヴェラス監督)がJTマーヴェラスの監督になってから、すごい練習量が増えて。ノルマがあって、それをクリアしないと練習を終われないんです。だからノルマをクリアできないと、休み時間中も延々とやらなきゃいけなくて。例えば、“10本中何本返す”となったときに、1本ミスったらまた1から数え直しになるんです。そうならないように、どうにかしてAパスなりBパスなりを返さないといけないというプレッシャーは、やっぱりつらいです。そんな中で練習してきたので、ちょっとはサーブレシーブも上達できたと思います。こういう練習をすることで、常に試合中の緊張感に近付けられるし、レシーブに入る選手同士の連携も確認できるし。練習量が増えてから、それまで以上にコミュニケーションが取れるようにもなって。それがやっぱり試合にも生きているんじゃないかなと思います。

それに、トレーニングも頑張りました。最初は重いバーベルなんか全然持てなかったんですけど、ちょっとずつ上げられるようになって。いろいろなトレーニングをしながら、足全体を鍛えて筋肉を付けて、身体をしっかり作れたので、私のサーブレシーブも安定してきたんだと思います。

どちらかというと、私はディグ(=スパイクレシーブ)のほうが好きで(笑)。サーブレシーブだと、ずっとボールを待っていないといけないんですけど、ディグなら動いてボールを取りに行けるので。動いているほうが好きなんです(笑)。
ディグの面白いところは、相手との駆け引きです。相手がスパイクを打ってくるときに――いろいろなコースがあると思うんですけど、そのコースにしっかりと入っていたりとか、わざと後ろに下がってスペースを空けておいて、フェイントされたボールを取りにいったりとか。そういう駆け引きが面白いんです。それに、相手のエースが決めにきたボールを上げたときはすごく気持ちいいですね。それで、そのボールをつないでこっちが決めると「よっしゃー!」ってなります(笑)。リベロの醍醐味でもありますね。

高校生のとき、全日本ユースのメンバーに選ばれて、初めて外国の選手と試合をしたんです。日本の高校生とやっている試合と全然違っていて、スパイクもパワーがあったり、高さがあって……。そのとき、もっともっと上を目指したいなと思うようになりました。今もそれは思っています。もっともっと上手くなりたいと。だから、これからも上手くなりたいという気持ちをずっと忘れずにやっていきたいと思います。
それから、バレーボールをやっている人たちに、あこがれてもらえる選手になりたいし、たくさんの人たちに元気や笑顔を与えられる選手になりたいですね。

※本記事は2011年9月時点のインタビューに基づいたものです。

JTマーヴェラス