奥村麻依選手のインタビュー

JTマーヴェラスのミドルブロッカー、奥村麻依選手のインタビューです。

大切なのは、相手を想うこと。

いとこのやることは何でも真似したかったんですね、多分

バレーボールを始めたのは、1つ上のいとこがきっかけですね。住んでいたところが田舎だったので、クラブといってもバレーボールしかなくて。小学校2年生のとき、いとこが「私、バレーボール始めるんだ」って言ってて、私も練習についていったんです。練習を見て以来、楽しそうだなって思ってて、実際に始めたのは小学校3年生のとき。いとこのやることは何でも真似したかったんですね、多分。

入ったクラブは強いわけでもなかったし、楽しくやってました。みんなとわちゃわちゃ遊んでいる感じが好きでしたね。ポジションはライトだったかな? まあまあ身長もあった方だったと思います。でかいってほどではなくて、まあまあ、って感じです。

私の地元はとにかく田舎だったので、人が少なかったんですよ。中学校は1年生から3年生まで合わせても30人くらいで、1学年13人とかそんな感じ。だから中学校に入っても、やれたのが野球か卓球かバレーボールしかなくて。でも、結構みんなバレーボール部に入ってて、10人ちょっといたので、そういう状況の中で何とかやってました。大会では市内でもまあまあ上位に入るかな、というくらい。今思えばそんなに強くはなかったと思うんですけどね。

でも、正しいことを言ってるから何も言えないんですよね

あるとき、自分の通ってた中学校でバレーボール教室があったんです。中学校の名前、むかつく中学校っていうんですよ。「向津具」って書くんですけど、大抵びっくりされます。それで、向津具中学校(山口県長門市)でのバレーボール教室に来られてた関係者の方が、「『JOCジュニアオリンピックカップ』っていうのがあるんだけど」と教えてくださったんです。

私、小学校6年生の卒業式のときに背が161cmあったんですけど、そこから中学校の入学式までに7cm伸びたんですよ。それぐらい一気に伸びて、中学校3年生のときは174cmか176cmくらいまでいったのかな。JOCって身長が高かったら声をかけてもらえたりするじゃないですか。だから多分、それで呼ばれたんだと思います。JOCでは最初、練習についていけなくて。みんな強い中学校から来ているから、練習量もはんぱないんですよ。自分だけ息を切らせたり、足をつったりしてました(笑)。楽しくやってた環境からいきなりガチでバレーボールをやる環境になったんで、どうしようかと思いましたね。

ポジションもレフトをやりたかったのにセンター(ミドルブロッカー)をやれって言われて、「いやだ」って泣いた覚えがあります(笑)。監督も困って、「じゃあレフトもやりつつセンターもやろう」って言ってくれて、でも実際はほとんどセンターをやっていました。うまいこと言いくるめられたのかもしれない(笑)。

あと、練習が終わったら毎回お父さんに怒られるんですよ! うちのお父さん、送り迎えのついでにいつも練習を見てくれていて、練習後に「スパイク練習では一番に打ちにいけ」とか言われるんですけど、私、すごい内気な性格なんですよ。だからそういう当たり前のことができなくて。練習の後の帰り道で「今日の練習は何だ、行く意味あるのか」って言われて、もう毎回号泣ですよ。超こわかったです、うちのお父さん。でも、正しいことを言ってるから何も言えないんですよね。今も何かあったら両親にはよく相談します。ダメなときはダメと言ってくれるし、落ち込んでいるときは励ましてくれたりもするので、ありがたいですね。

ちょっとずつ自信を持っていこうと思えました

JOCでは運よく試合に出させてもらって、それがきっかけで誠英高校(山口県防府市)に声をかけてもらいました。正直、最初はそんなに行く気がなかったんですけど、お父さんが「めったにないチャンスだし、せっかくだから」と言ってくれて、「確かにな」と思って。最終的には自分で決めて進学したんですが、入ってみたら最初のころはきつかったですね。練習量も多かったですし、周りもみんなうまいし、「あ、ちょっと場違いなところに来ちゃった」って思ってました。引き離されないように、なんとかギリギリやっていた感じですね。

そんな感じだったので、高校の3年間を通してバレーボールがうまくなったっていう実感はないんです。でも、たまに監督さんから「うまくなったな」と言ってもらえたので、少しはましになったのかな、と思います。監督は絶対にお世辞を言わない方だったんですよ。ということは、言ってもらえたことは本当なのかな、と。それでちょっとずつ自信を持っていこうと思えましたね。

高校時代で一番印象に残っているのは、3年生のときの大分国体。優勝したんですけど、そのときはすっごく試合が楽しかったですね。対戦相手が東龍(東九州龍谷高校/大分県中津市)で、地元だから相手の方が応援も圧倒的に多かったんですよ。自分たちはすごくアウェーな感じ。でも、監督が「最後だから思い切ってやろう」と言ってくださって、チームの雰囲気もすごくよくて。そのとき、一緒のチームにあゆ(中村亜友美選手)もいたんですけど、あゆがみんなに「暴れ馬になろうぜ」みたいなことを言っていて(笑)。みんなで「うおー!」って盛り上がりました。あゆは本当に“キャプテン”って感じでしたね。「自分についてこい!」、みたいな。で、私はついていく方でした(笑)。みんなより5~6歩くらい後からですけど。

振り返ってみたらいい経験ができたな、と思います

高校のときは練習についていくだけで必死で、監督に言われたことをちゃんとやらなくちゃ、という感じだったんですけど、大学(嘉悦大学/東京都小平市)に入ったらまた違う雰囲気でしたね。高校と一緒で寮生活だけど、そこまでガチガチに規律があるわけでもなく、監督との距離も近くて、最初はそれにずっと慣れませんでした。「これじゃだめだな」と気づいたのは大学3~4年生のころですね。時間がかかったんですよ、大人になるまでに(笑)。

練習も高校までとは違いましたね。高校生のころもお互いに話し合ったりはしたんですけど、大学はもっと自主的というか、先輩が後輩に対してしっかりアドバイスもするし、自分たちで考えながらやっていく感じ。振り返ってみたらいい経験ができたな、と思います。高校のときは自分のことで精いっぱいだったけれど、大学では後輩も見なくちゃいけないし、指摘もしなくちゃいけない。少しは視野が広がったんじゃないかな。

大学最後のインカレはほとんど覚えてますね。1戦目は大阪国際大学(大阪府守口市)と当たって、勝てたけれどギリギリだったんですよ。試合後に「このままじゃいけない」ってみんなで話し合いました。その後の鹿屋(鹿屋体育大学/鹿児島県鹿屋市)との試合も結構な接戦だったんですが、最終セットの後半にセッターをやっていた田中美咲が捻挫しちゃって。でもその時点でメンバーをほとんど使っていたから、交代できなくて、自分が最後にトスを上げたんです。24-23であと1点取れば終わりってときに自分がセットアップしなくちゃいけなくなってすごくテンパったんですけど、キャッチがきれいに返ってきて。レフトの昌美(高橋昌美選手)に上げたら1本で決めてくれたので、よかったです。

決勝の相手は日体大(日本体育大学/東京都世田谷区)でした。向こうのチームにはあゆがいて、すごい存在感があったし、私自身その試合ではスパイクの調子が上がらなかったんですが、その分ほかのところ――苦手なレシーブで頑張ろうと思ってやりました。そうしたらみんなが決めてくれて、セットカウント3-1で勝つことができたんです。何だろう、どちらかといえば覚えてるのは自分たちがやりたいことをやれた試合の方が多いかもしれないですね。

大友さんは憧れの人ですね

大学に入ったころは、卒業したらバレーボールは辞めるつもりだったんです。まさかVリーグのチームから声をかけていただけるとは思わなくて。JTマーヴェラスは一番最初に声をかけてくださったチームだったので、「じゃあJTマーヴェラスに」って決めちゃいました。あゆとか昌美とか同期もいるけれど、2人がいたからJTマーヴェラスに決めたわけじゃなかったですね。お互いに話があったのは知っていたけど、入部を決めて初めて「え、そっちも?」っていう感じでした。

入部当時はまだ大友さん(大友愛さん/元JTマーヴェラス)とか竹下さん(竹下佳江さん/元JTマーヴェラス)も所属していたころで。大友さんは憧れの人ですね。テレビで見ていた全日本プレーヤーで、入部する前はちょっとクールなイメージがあったんですよ。でも実際に同じチームで一緒に練習したら――数カ月くらいでしたけど、動きも速いし、ブロードもすごくきれいなのにあれだけ打てるっていうのが本当にすごいな、と思って。しかもコートの外に出たら、入部したばかりの自分にも気さくに話しかけてくれるんですよ! もう、惚れましたね。入部したてだったから直接何かを教わるということはあまりなかったんですけど、見て学ぶものは大きかったです。

「ここで1点を取れれば」というときにトスを上げてもらえるような選手になりたい

実際、Vリーグに入って試合に出させてもらいましたけど、周りはやっぱりうまい人ばかりだし、4Legにわたって試合をすることも今まではなかったので、「これがVリーグか」というのはありました。毎週、試合があるからどうしても調子がいいときと悪いときはあるし、私、調子が悪いときははんぱなく落ち込むんですよ。メンタルの部分をうまく保っていくのは本当に難しいんだなと感じましたね。

でも、1年目から出場させてもらったことはよかったのかな、と。「2013/14V・プレミアリーグ」では一応、ブロック賞もいただいたので、名に恥じないようにブロックは引き続き頑張っていきたいです。ブロックが決まると嬉しいんですよ。相手が打った瞬間にシャットできると、「よっしゃ、きた!」って感じ。特に、相手がサイドから打ってくるときのブロックは自分1人で飛ぶわけじゃないでしょう? ブロックが決まるっていうことは、サイドの選手と連携が取れてるってことでもあるから、そっちの方がチームとしても盛り上がるし、すごく嬉しいですね。サイドの選手にも感謝です。

今の課題はスパイク。打ちに入るタイミングを安定させることですね。「2013/14V・プレミアリーグ」では点を取りたいときに取れなかったという印象がすごくあって……。「ここで1点を取れれば」というときにトスを上げてもらえるような選手になりたいっていうのはずっと思っています。大事な1点はエースが決めるものだと思われがちなんですけど、この1点はセンターで仕掛けてみたいと思わせるような、頼りになる選手になりたいですね。

相手との駆け引きがあるので、私はそこが楽しいです

バレーボールって、実は奥が深いですよね。ボールをつないで遊んでいるようにしか見えないのに(笑)。相手との駆け引きがあるので、私はそこが一番楽しいです。相手はどういう心理状況なのかを予想して、実際に当たったときは「よしっ!」って思います。ブロックでも「次はレフトに来るかな」と思っていて実際に向こうのセッターがレフトに上げると「自分と同じことを考えてたんだ!」って思うし、そういうのが面白い。

それに相手との駆け引きだけじゃなくて、チームの中でも“相手を想うこと”がすごく大事になるじゃないですか。1本目を受けた人はどうすればセッターが上げやすいかを考えてパスをするし、ブロックに入るときもどうすれば後ろの人が取りやすいのかを考えなくちゃいけないでしょう? 常にそうやって考えることでプレーもどんどんよくなっていくはずだし、それだけじゃなくて、相手を想うということはプレー以外の人生にも役立てられるんじゃないかな、とも思うんです。もしかしたらバレーボールって人生勉強に近いのかもしれません。……あれ? 今もしかして私、ちょっといいこと言いましたね! ははは。

※本記事は2014年7月時点のインタビューに基づいたものです。

JTマーヴェラス