JTサンダーズ

合田心平選手のインタビュー

JTサンダーズのセッター、合田心平選手のインタビューです。

技術だけじゃダメ信頼を得ることが一番大事

小学5年生で下宿

バレーボールは、父親がスポーツ少年団の監督をしていたことや、3つ上の兄がやっていたので、小学校に入ると同時に自然な流れで僕も始めるようになりました。
小学3年生からセッターの練習を始めて、その時からずっとセッター一筋ですね。
小学5年生の時には、父親がやっていたチームがなくなってしまったので、3学期に広島県内の別の小学校に転校して、父親の知り合いの監督の教え子の家で下宿させてもらいました。転校前は全校生徒が100人いるかいないかぐらいだった学校から、一気に同級生が100人くらいいる学校に転校したので、そのギャップにびっくりしましたね。3カ月くらいは、ホームシックで泣いていました(笑)。成績は6年生の時に全国大会に出たぐらいで、あとは県大会1回戦で負けたり、2回戦で負けたりという感じですかね。

中学校は東広島市の中学校(東広島市立磯松中学校)へ行きました。そこでまた3年間下宿です。
周りのチームのレベルが思っていた以上に高かったので、結構衝撃でしたね。
試合には1年生の時から出ていました。僕が行った学校は市内では負け知らずで、県大会でも毎年ベスト4に入れるくらい強かったです。
2年生の時に全国大会に行きました。その年は全国で上位に行くチャンスがあったんですけど、結果はベスト16だったかな……。3年生の時は全国大会には出てないです。県大会ベスト4だったと思います。準決勝で負けましたね。

「日本一になりたいなら、崇徳に来てくれないか?」

高校は崇徳高校(広島県広島市/以下:崇徳)に進みました。崇徳を選んだ理由は、本多(洋)先生から「全国で勝負して日本一になりたいなら、崇徳に来てくれないか?」と声を掛けていただいたからです。その一言で決めました。
練習はとにかく厳しかったです。小学生の時にある程度、厳しいところでやっていたので、大丈夫だろうなと思ったんですけど、想像以上でした。3年間しんどかったですね。
崇徳のモットーが「当たり前のことを当たり前に」なので、練習はパスとか基本的なことがすごく多かったです。アンダーパス、オーバーパスの練習だけで午前中が終わることもありました。
一番きつかったのは、1回だけあったんですけど、2人でペアを組んで、全員で1時間オーバーパスを続ける練習ですね。誰かが落としたら最初からやり直しなんですよ。50分ぐらいで誰かの集中力が切れて落としちゃうんで……。そしたらまたやり直しで、1日ずっとオーバーパスをやったことがありますよ。それは本当に体力的にというか、精神的にきつかったですね。

春高バレーやインターハイには3年間すべて出場しました。最高成績はベスト8くらいだったと思います。高校時代に一番印象に残っているのは、3年生の沖縄県宮古島でのインターハイですね。結果問わず宮古島で試合ができたっていうのは、結構思い出に残っています。あと、試合に負けた後にいつもは観光とかはしないんですけど、宮古島だったからなのか監督が突然「みんなで海に行くぞ!」って。海で遊んだことはすごく楽しかったので、めちゃくちゃ覚えてますね。

やんちゃボーイとの出会い

航(井上航選手)とは、高校時代に1年間だけ一緒にプレーしました。
自分が3年の時に航が入ってきたんですけど、やんちゃボーイでしたね。同じ寮生だったんで、怒ったことも何回もあります。“くそ生意気”でしたよ(笑)。マイペースだし、あんまり深く物事を考えてないというか……。寮って食事の時にみんなでそろって合掌しないといけないんですけど、練習が終わってみんなが待っている中、1時間ぐらい帰ってこなくて……。帰ってきた時に「どこ行ってたの?」って聞いたら、「ウロウロしてました……」って。その時が一番怒ったんじゃないですかね。だけど、あいつバレーボールはちゃんとやっていたんです。プレーは上手かったので怒ったのはたぶん、私生活とかそういうとこだけですかね。一緒にプレーするのは、高校以来なので久しぶりですね。ちょっとは成長してるなと思います。ちょっとだけ気を遣える大人になったと思いますね。

すごい大学に来たな

高校卒業後は大阪産業大学(大阪府大東市/以下:大産大)に進みました。大学での練習は崇徳に比べれば楽でしたけど、大産大は関西では練習が厳しい方だったので、そんなに大きな変化はなかったですね。
試合には1年から出ていました。1、2年生の時は結構いい成績を残したんですよ。西日本インカレで準優勝したり。中でも、1年の春季リーグ優勝はよく覚えてます。10試合あって全勝優勝、すごい大学に来たなと思いましたね。当時のメンバーがすごかったんです。先輩に衛藤さん(衛藤英興選手/元FC東京)、岡崎さん(岡崎将司選手/元FC東京)、あと同期の鈴木(鈴木健太選手/FC東京)。その3人と同時期にプレーしていました。ほかにもVリーグには行かなかったですけど、周りの先輩も結構すごい選手ばかりでした。でも、3、4年生ではあんまり結果を残せなかったので、そこはちょっと後悔してますね。
卒業後の進路として、Vリーグのことはあまり意識していなくて、できたらやりたいなっていう感じでした。でも、目指すならそこを目指そうかなと高校時代からはずっと思っていましたね。とりあえず大学で努力していけるところまでは頑張って、それがダメだったらもう指導者になろうと思ってました。

勉強になったパナソニック時代

大学在学中にいろいろな縁があって、パナソニックパンサーズ(以下:パナソニック)で練習生としてプレーする機会をいただきました。3カ月間練習生とプレーして、大学卒業後の4月から正式に契約を結んでいただき、そこから昨シーズン(2017/18シーズン)まで3シーズンの間プレーしました。
パナソニックでの3年間は、同じポジションに代表2人(深津英臣選手、関田誠大選手)がいたので、あまり試合にでる機会はなかったですけど、レベルの高さを感じることができました。
今まで自分では意識高くやってきたつもりだったんですけど、やっぱりパナソニックに入って、Vリーグのレベルを経験して、そこにいる選手たちの意識の高さにびっくりしました。まあ、そこが一番学んだとこですかね。意識の高さというか、勝ちにこだわる姿勢というか、そういったものは、自分が思っていたもの以上のものだったので、すごく勉強になりました。

地元・JTサンダーズに移籍

(2018年)8月にJTサンダーズに移籍しました。移籍するきっかけは、黒鷲旗が終わった時ぐらいに、「移籍の話があるんだけど……」と言われて、いろいろ話を聞いて、地元だし、広島でできるならと思って決断しました。パナソニックにいる時のJTサンダーズのイメージは、小野寺太志選手とか武智洸史選手が入って来て、すごい勢いが出てきて、怖いなと思ってました。トーマス・パトリック・エドガー選手とかもデカいですし。あとは去年一気に若くなったなという印象はありましたね。入ってからのチームの印象は、上下関係がなく、いろいろなことを言い合える関係性だなと思いました。思っていることをお互い言い合える関係性はすごい良いことだと思うので、非常に良いチームだなと思います。同じポジションの深津さん(深津旭弘選手)とはよく話をしますね。

足りないものを足していくだけ

バレーボール人生で一番影響を受けた人物は、やっぱり本多先生ですね。たぶん崇徳に行ってなかったら、ここまで来られてないと思うので。以前、その本多先生に「技術的に上手いセッターじゃなくて、人間的に良いセッターになれ」って言われたことが、一番印象的でしたね。やっぱりどれだけ上手くても、アタッカーとの信頼関係とか、その辺がうまくいかないと打ってもらうボールも打ってもらえないので、やっぱり技術だけじゃなくて、そういうコミュニケーションの面とか、信頼してもらえるためにはどう生活していけばいいかということをいろいろ考えるようになりました。
他の競技と違って、バレーボールって自分でボールを止められないので、だからすごく難しいんですよね。0.何秒間隔でボールをつなげないといけないので、そこに自分勝手な存在がいたらうまくいかないだろうし、今でも本当に悩むことはいっぱいあります。難しいなと思いながらバレーボールをやってるんですけど、逆にそれが楽しいっていうか。まあ一人じゃできないスポーツなので。助け合いながらできるスポーツというところが魅力的なんじゃないかなと思いますね。

セッターとして一番大事なのは信頼を得ること、ずっと意識しています。一番ボールに触る回数も多いですし、唯一味方の方を向いているポジションなので、やっぱり一番信頼がないとできないポジションだと思います。信頼を得るためには、コート外のことも大事だと思い、いかにバレーボールに真剣に取り組むかということを意識してやっています。
パナソニック時代は試合に出ることが少なかったので、まずはJTサンダーズでレギュラーになれるように頑張りたいなと思っています。レギュラーになれなかったらなれなかったで、また足りないものを足していくだけですね。これからもJTサンダーズを盛り上げていくので、応援をよろしくお願いします!

本記事は2018年9月時点のインタビューに基づいたものです。

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