井上航選手のインタビュー

JTサンダーズのリベロ、井上航選手のインタビューです。

優勝することが僕の使命

自分にしかできないことは、レシーブだな

僕、小さいころ野球が大好きで、ソフトボールチームに入っていたんです。でも、小学2年生のときに友達に誘われてバレーボールチームの見学に行ったらすごく楽しそうで。遊びの延長っていう感覚で始めたら本気になっちゃったんです。母親にバレーボールチームに入りたいって相談したら「あんたは野球が好きなんだからソフトボールを続けたほうがいいわよ」って反対されて……。なんとか説得して、絶対に途中で投げ出さないっていう条件で入る許可をもらったんですよ。実際、練習がしんどくなって「もう辞めたい」ってこぼしたことがあったけど許してくれませんでしたね(笑)。そのおかげで、小学生では県大会で2位にまでなることができました。
中学校はバレーボールに専念するために、学区外の強豪校に入学しました。入ってみたら小学校の県ベスト4以上の選手が集まる県選抜みたいなチームで、中学1年生のときはずっとベンチだったんですよ。
僕はバレーボールを始めたころから体も大きくなくて、ずっとレシーバーをしていたんですけど、強い選手たちのレシーブばっかり受けていて、気が付いたら、レシーブが得意になっていました。で、「自分にしかできないことは、レシーブだな」と、リベロに転向する決断をしました。中学2年生のときでしたね。
でも、中学3年生のときにスパイカーがケガをして、代わりに僕がスパイカーをやったら結果を出せて、しばらくスパイカーとして試合に出ていたこともあります。好きだったスパイク練習の成果を披露する日が来るとは思っていませんでした(笑)。

“ミスをしたらペナルティー”地獄の練習で築いた基礎力

高校は、伝統ある強いチームで自分自身を成長させるために崇徳高校(広島県広島市)に入学しました。迷いなく入学したんですけど、入ってみたら中学までとは比較にならない、想像を絶する厳しさで、高校1年生のころは上下関係、監督、練習、全てが本当にきつかったです。
崇徳の本多(洋)監督は基礎練習を重視していて、しっかり時間をかけて地味な練習を続けるんです。それって肉体的にも精神的にもすごく追い詰められるんですよ。パスの練習だけで1時間半! それを死ぬ思いでやっていました。
チャンスボール練習で、セッターを1歩でもずらしたら「コート何周!」とかのペナルティーもありましたね。もう、試合と同じくらいの緊張感があるんですよ。でも、そのおかげで練習より試合のほうが楽な気持ちで挑めるようになりました。それに、今になってその経験が生きていると思います。パス、2段トス、チャンスボール、基本の大切さを死ぬほどやって、叩き込んだおかげです。

1プレーで流れを変えることができる、それがリベロ

高校では絶対すぐにレギュラーを取りたくて、気持ちで勝ち取って高校1年生から試合に出ていました。
成績はインターハイ、春高バレー、国体、ほとんどベスト8でしたけど、高校3年生で出場した国体での4位が最高でした。中でも印象に残っているのは、高校1年生のインターハイ予選の決勝で広工大(広島工業大学高校)と戦って負けかけた試合です。うちの高校は負けたら翌日から地獄の練習が始まるから、それを考えると試合中から恐怖でしたね(笑)。
試合では、1セット目を先取、第2セットは取られて、3セット目もぎりぎりの20-20くらいの接戦。そうなると観客も相手チームを応援し始めるんですよね、「あの崇徳に勝てるぞ!」みたいな空気になっていて。そんな中、僕がレシーブで返したチャンスボールをうちがブロックで押し込んで1点入れて、そこからうちに流れが変わって勝つことができました。
実はその試合、序盤で僕がサービスエースを取られたりして足を引っ張っていたんですよ。
それもあって、試合後本多監督に「お前のおかげで勝ったが、お前のせいで負けかけたぞ」と、言われました。それまで、リベロは勝敗を左右するプレーヤーじゃないと思っていたんですけど、1つのプレーで流れを変えることもできる、ということを思い知ったんです。それがきっかけでとてもやりがいを感じるようになりました。

試合になると人格が変わるらしいです(笑)

大学はずっとトップに君臨し続けていた東海大学(東京都渋谷区)を選びました。練習がきついとは聞いていましたが、そこでさらに上を目指したいという気持ちのほうが強かったですね。入学当初、リベロは4年生がやっていて控えに一つ上の選手がいて、春期リーグのとき僕はベンチにも入れなかったです。大学1年生の東日本バレーボール大学選手権大会からやっと試合に出られるようになりました。その試合が大学のデビュー戦でしたが、余計なことは何も考えずに思った通りに動けましたね。僕、緊張するタイプじゃないので。でも、試合になると人格が変わるってよく言われます(笑)。普段はふざけてもあまり感情は出さないし、練習でも冷静なんですけど、試合になったら喜びとか悔しさとかそういう気持ちが全部むき出しになっちゃう(笑)。
大学の思い出といえば、やっぱり全日本インカレです。どうしても優勝して終わりたかったから、2位っていう結果には未だに悔いが残ります……。

迎えたデビュー戦 味わった未知の感覚

JTサンダーズを意識し始めたのは大学の受け入れ合宿でJTに行ったとき、小澤翔さん(元JTサンダーズ)と出会ってからですね。合宿の時に翔さんがJTの練習着を僕にくれて、「JTにしか入るなよ」って言ってくれたんですよ。当時は本当に入れると思ってなかったから、なんとなく流してしまってちゃんと返事できなかったんですが……。その後、会社に交渉してくれて翔さんがつけていた背番号の「10番」を僕のために用意してくれました。まさか背番号までもらえると思わなかったので感謝しています。
入部が決まったときは実力が通用するのか不安でしたね。小さいころから見てきたチームだったのでまさか入れるなんて思ってなかったし、全然実感が湧きませんでした。でも、入ってみたら先輩たちのおかげでチームの雰囲気もいいし、監督も、いいものは「いい」、悪いものは「悪い」とはっきり言ってくれるので分かりやすいし、良いチームに入れたなと思いました。
2017年1月のホームゲームで初めてV・プレミアリーグのコートに立ったんですけど、今までと全然コートの見え方が違って。焦点も合わないし、うまくプレーできる気がしませんでした。平常心だったつもりが、緊張していたのかもしれません。味わったことのない変な感覚だったことだけは覚えています。「第66回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会」の準決勝でセンターコートに立ったときも、またあの感覚になるのかもしれないっていう思いが一瞬よぎりましたが、「予選から全試合出させてもらって経験を積ませてもらったし、スタートから出させてもらってるから大丈夫」と思ってプレーしたらリズムをつかめていつも通りにできました。

優勝して地元を盛り上げられれば、それだけで満足

振り返ってみても、バレーボールって僕にとって“楽しいこと1:苦しいこと9”なんですよね。勝ったときの喜びを感じるために毎日の苦行に耐えているという……(笑)。
でも、こうしてJTサンダーズに入ったからには、酒井大祐さん(元JTサンダーズ/現サントリーサンバーズ)を超えたいという思いがあります。ずっとJTサンダーズの守護神でしたし、小さいころから見てきた側としては、新しいリベロが酒井さん以上のプレーをしないと納得できないですからね。
それと、僕、「世界一のセッター」と言われた猫田勝敏さん(元専売広島)と同じ小学校出身なんですよ。それもあって、ありがたいことに広島の皆さんがすごく応援してくれています。だから、恩返しの意味も込めて優勝することが僕の使命だと思っています。チームにいい影響を与える選手になって、V・プレミアリーグで優勝して地元・広島を盛り上げられれば、それだけで満足です。

本記事は2017年7月時点のインタビューに基づいたものです。

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