唐川大志選手のインタビュー

JTサンダーズのリベロ、唐川大志選手のインタビューです。

バレーボールは本気の遊び

バレーボールの話になると絶対にけんかになります

もともと母親も親父もバレーボールをやってたんで、小学校1年生くらいのころから試合を観に行ったりしてたんですよ。そうしたら小学3年生のときに、スポーツ少年団のチームができたので入りました。そのスポーツ少年団は、僕の両親と、両親の知り合いのジュニアの監督さんたちとで立ち上げたチームなんです。だから、僕が第1期生。別に強制ではなく、僕自身は野球なんかもやってたんですけど、いろいろやっていくうちに、結局、バレーボールに収まりましたね。それはやっぱり楽しかったのもあるし、両親もやっているから話もできるっていう、それが大きかったんじゃないですか。

両親とも本格的にバレーボールをやってたんで、昔はめっちゃ厳しかったですね。今はそうでもなくて、2人とものほほんとしてますけど(笑)。兄弟は下に2人。僕が長男で、弟と妹がいます。全員、バレーボールをやっています。バレーボール一家ですね。でも、家ではバレーボールの話、しないっすよ。絶対にしないですね。特に弟とはずっと同じチームだったんで、もしもバレーボールの話になると絶対にけんかになります。中学生のころまでは弟とけんかばっかりしてましたね。親には絶対に逆らえないので、兄弟でずっとけんかしてました。でもそうやってけんかしてたらそこに両親も入ってくるんで……もうね、面倒くさいんですよ(笑)。すぐに怒られるし。だから極力話さないようにしてました。まあ、今は弟とも仲がいいですけどね。

当時、一番楽しかったのは、県大会に行けたときですかね。僕の代になってから初めて出場することができたんです。監督はそれほど厳しくはなかったですね。怒られるときはめっちゃ怒られましたけど、バレーボールを辞めたいとかはなかったです。昔から結構、負けず嫌いだったのもあるし、多分僕、チームの中でもできる方ではあったんですよ。……というか、僕が小学校6年生のとき、周りの子はみんな3年生とか4年生で、上級生は僕だけだったんです。だから、僕がやらないと。自分が一定のレベルまでいかないと相手にやられてしまうので、やるしかなかったです。それだけに、県大会まで行けたのはうれしかったですね。そのころには同じチームに弟もいたんで、僕がレシーブして弟がトスを上げて、それを僕が打つっていう感じのときもありました。一度、「2人だけでやってる」って言われたことがあります(笑)。小学生のときは、そうやって自然と技術が身についた感じですね。

地区ではそれなりに強かったんですけど、「だからいいでしょ?」みたいな

僕のいた地域って結構バレーボールが強いんですよ。Vリーガーになった選手も何人かいますし、わりと盛んな地域なんですね。だから中学校も、僕は普通に公立の中学校に進学したんですけど、そこの教頭兼バレーボール部顧問がめっちゃ怖い先生で。怖いっていうか、本当に熱心な先生で(笑)、中学校入学前に合宿に連れて行かれたんです。その部活には前から知っている2つ上の先輩もいたし、そりゃあもう、自ずと入るしかないですよね。本当は「サッカー部に入りてえ!」とかなんとか言ってたんですけど、そもそもその学校にサッカー部がなかったんで、無理でしたね。

でも、親は多分、今でこそ喜んでくれてるんじゃないかなと思いますけど、あのころは僕がバレーボールを続けていてもそんなにうれしくなかったんじゃないですかね。親には基本的に「やりたいことはやっていい、ただし決めたことには責任を持て」ってずっと言われてたんですけど、中学生のころってなんかこう、一生懸命やるよりも“すかしてる方がかっこいい”みたいなところ、あるじゃないですか。僕が入ったバレーボール部も、怖かった教頭先生が2年生のときに顧問を離れられてから、なんかそんな雰囲気になっちゃって。地区ではそれなりに強かったんですけど、「だからいいでしょ?」みたいな。僕ももう、一生懸命やるのとか、ちょっとあきらめてたんですよ。そうしたら親に「もう辞めろ」って言われたこともありました。

ちょうどそのころです、「全員がやりたいと思ってやってるわけじゃない」って誰かに言われたのは。中学校だから、全員が何かの部活に入らなくちゃいけない。当然、バレーボールをやりたくてやっている人ばかりじゃないですよね。そういう相手に対して、僕も最初は「やれよ!」って言っていたんですけど、途中でそれは違うのかな、と気が付いたんです。結局、本当に上手い人って、自分がやりたいからやっているんであって、人にやらされているうちは最後まで続けられないと思うんですよ。そこに気付いたら、少し楽になりましたね。まあ、中学校時代はそんな感じでしたけど、僕自身は一応、高校まではバレーボールを続けようと思っていたんです。でもさすがにそのときは、まさか、今こうしてVリーグに入るなんて思わなかったですね。

チームメートでよかったな、と今でも思います

高校は、「勝てるところに行きたい」と思って九産(九州産業大学付属九州産業高校/福岡県筑紫野市)を選びました。プレースタイルが分かりやすいというか、自由にやらせてもらえたのはよかったですね。シンプルなんですよ。「ミスしたら怒られる、できたらOK」という感じ。極端にいえば、実力さえあればどんなチームにしてもいいというくらい、結構、実力主義だったんです。同級生にはねえ、恵まれましたね。みんないいキャラクターでした(笑)。最初のころは、打ったスパイクがネットを越えないようなやつもいたんですけど、そこからどんどん上手くなったし。あと、春高バレーの2日前まで就職活動をしてたやつもいましたね(笑)。僕、キャプテンだったんですけど、みんな言うこと聞いてくれないんですよ。やりたいようにやっちゃうんです。みんな、面白いやつらでしたね。チームメートでよかったな、と今でも思います。

僕自身も、バレーボールに関しては高校時代が一番刺激をもらえたように思います。レベルの高いチームとたくさん練習試合をさせてもらったりもしていたので、いろいろなプレーを見ることもできたし、吸収するものも多かったんじゃないかな。試合には、1年生のころは出たり入ったり。本格的にスタメンに定着したのは、1年生のインターハイが終わってからです。

当時、ポジションはまだスパイカーでしたね。高校時代で一番印象に残っているのは、最後に出場した春高バレーの県大会決勝戦。大濠高校(福岡県福岡市)と対戦して、フルセットまで行ったんです。それで、最後の最後、13-14の1点差で負けていた場面で、相手からの切り返しを僕がライト寄りのポジションで拾ったんですよ。僕は当時レフトだったんですけど、そこからライトに開くしかなくて、(トスを)呼んだらまず自分のところに上がってくると思うじゃないですか。チームとしても“最後はエースに託せ”っていう教えでしたし、僕、キャプテンだったし、最後ぐらいはトスをくれてもいいんじゃないかと思ってたわけです(笑)。なのにセッターがなんとそこでクイックを上げたんです。そうしたら相手が2枚ブロックに跳んでて、シャットですよ。13-15でゲームセット。負けました。それが高校の引退試合です。後々、何であのときクイックを上げたのかセッターに聞いてみたら「分からん」って言ってました。「あのときはテンパっとった」って。結局、そいつとは大学まで7年間、一緒にプレーすることになるんですけどね(笑)。あの試合は忘れられないです。

「1本目をきっちり上げないと、どれだけ強いスパイクを打ってもダメ」

リベロをやり始めたのは、高校の国体から。大学(福岡大学/福岡県福岡市)では最初からリベロとしてバレーボール部に入部しました。でも、最初のころはやっぱり「自分が打った方が決まるんじゃないか」って思うこともあって……。大学の先生は絶対にスパイクを打たせてくれませんでしたね。1回、打ったら本気で怒られたこともありました。でも、リベロになること自体には別に抵抗はなかったですね。「1本目をきっちり上げないと、どれだけ強いスパイクを打ってもダメ」っていうのをジュニア時代からずっと言われていたので、違和感なく入れました。人によっては「リベロをやりたくない」っていう人もいると思いますよ、絶対。だって、楽しくないですもん(笑)。楽しくないっていうか、失点しかないですからね。得点を決めるとか、そういう花形になれるシーンは絶対にないんで。でも、相手がいろいろと仕掛けてくるじゃないですか。それをレシーブ1本で防ぐときは気持ちいいですね。組織として、トータルディフェンスとしてではなく、能力一本だけで防いだときは本当に気持ちいい。僕が考えるリベロの醍醐味はそこですね。

もともと大学には、教員になろうと思って進学したんです。それで免許は取ったんですけど、就職活動もしたかったし、どうしようかなと思っていて……。JTサンダーズから声をかけていただいたのはそのころですね。これからの人生にとって損はないかな、と思って入部を決めました。どちらかといえば“教員になりたい”というよりも“バレーボールを教える人になりたい”と思っていたし、この先どうなってもプラスにはなるんじゃないか、と。行けるところまでとことん行って、ダメだったらそのときはそのときで、という感じですかね。体がぶっ壊れたらぶっ壊れたときに考えればいい。まだ自分の中に先があると思えるうちは、バレーボールを続けようと思いました。

いつもそうやって何とかしてきたんで

JTサンダーズに入ってからは――、ヴェセリン・ヴコヴィッチ監督のやり方しか分からないですけど、やることがシンプルですよね。あとは、そこに自分の能力をどうプラスアルファしていくかという感じ。今までに自分がやってきた取り組み方と大きく変わらないので、やりやすいです。でも、バレーボールは全然違います。僕は九州でやっていたので、どちらかといえば大きくはないけれど上手いプレーヤー同士で戦っている印象があったんですね。でもV・プレミアリーグではそんなこともないし、スパイクとサーブのスピードなんかも全然速いですし。違いすぎてまだいまいち分かっていないくらいですね。

今の自分に足りていないところですか? 基本的に技術は全部足りていないと思います。でも同じリベロの久原さん(久原大輝選手)よりは僕の方が、今のところ圧倒的に足は速いです(笑)。僕か久原さんか、どちらが試合に出られるかは分からないですよね。ケガをするかもしれないし、調子を落とすかもしれない。でも2人ともダメっていうのが一番ダメなので、今はちょっと、2人で真剣に練習しています。昨シーズンまでは酒井さん(酒井大祐選手/元JTサンダーズ、現サントリーサンバーズ)がいて、今シーズンはいなくなって、それで負けたらヤバいっていうのはお互いに思っているんですよ。だからちょっと怖いですけど……、でも何とかします。いつもそうやって何とかしてきたんで、大丈夫だと思います。

自分が一番上手くないと、やっぱり面白くないじゃないですか

僕の目標は、やれるところまでやる、ということです。今までやってきて「もうやりたくない」と思ったことはないので、そう思ったときは本当の終わりなんじゃないですかね。言ってしまえば、バレーボールは僕にとって趣味みたいなものです。僕自身、遊びとしてバレーボールをするのも好きですし、人数を集めて小さな大会に出場したりといったことも結構やっていたので、そういうのを含めて趣味みたいなものですね。もっといえば――、これはあまり言いたくないんですけど、遊びです。本気の遊びですね。本気でやらないと面白くない。自分が一番上手くないと、やっぱり面白くないじゃないですか。自分がヒーローになれたら、自分で「すげえな」って思えるプレーができたら楽しいじゃないですか、スポーツって。だから、やるからにはとことんやります。ゆくゆくは教員にもなりたいですけど、バレーボールは今じゃないと絶対にできないので、今できることをとことんやる。そしていろいろな世界を見て、上があるなら上まで行きたいですね。

※本記事は2015年7月時点のインタビューに基づいたものです。

JTサンダーズ