越川優選手のインタビュー

JTサンダーズのウイングスパイカー、越川優選手のインタビューです。

勝つ方法は、自分で勝たないと分からない。

姉に負けたくない気持ちの方が強かったように思います

僕は3つ上に姉がいるんですが、その姉が中学校に上がって、バレーボール部に入ったんです。それを見て、僕も小学4年生の9月に、友達と地元のクラブチームに入りました。当時は習い事とかも全部、姉の真似をしてやっていました。多分、うらやましかったんだと思います。それに負けず嫌いというか、常に「姉には負けたくない」という感じでしたね。多分、当初はバレーボールをやりたいというよりも、姉に負けたくない気持ちの方が強かったように思います。もちろん、姉とはすごく仲良しなんですが(笑)。

でも、実際に始めてみたらやっぱりバレーボール自体が楽しくて。うちの両親も9人制のバレーボールをやっていて、僕自身、小さいころからボールに触っていたので、パスなんかもすぐにできましたし。強いチームではなかったけれど、スパイクを打ったり、試合で勝ったり、負けたりしても楽しかったですね。どんどんバレーボールが好きになって、気付いたら一番好きになっていました。

もっと上でやりたい、もっと上手くなりたい

そんな感じだったので、中学校も、地区の中でバレーボール部が強い学校を選んで進学しました。当然、入部したてのころは試合に出ることもなかったんですが、代替わりで新チームになったころから、試合に出させてもらえるようになって。僕らの1つ上の代が結構強かったこともあり、中学2年生のときに県で優勝して、北信越ブロック大会でも勝って全国大会に出場することができたんです。あの全国大会のことは、今でも印象に残っていますね。体育館の雰囲気とか、対戦相手とか、全部覚えています。

やっぱり、全国大会を経験したりしたことで、どんどん欲が出てきたんだと思います。もっと上でやりたい、もっと上手くなりたい、という気持ちが自分の中でふくらんでいくのが分かりました。だから高校へ進学するときも、まったく迷いはありませんでした。悩んだとしたら、“バレーボールを続けるかどうか”ではなく“どの高校でバレーボールをするか”というところだけです。県外の高校からいくつかお誘いはいただいたんですが、最終的には、実際に見学に行って、監督さんとお話しした中で、「この人にバレーボールを教わりたい」と思った岡谷工業高校(長野県岡谷市)への進学を決めました。

「この人たちについていけば勝てる」

当時の岡谷はすごかったですね。僕が入学する前に春高バレーで3連覇していましたから。僕自身、中学生のときに岡谷の試合を見たこともありますが、あのときはまさか自分が将来、そこに進学することになるとは思っていませんでした。もちろん、進学にあたっては、夢や憧れではなく、現実的な選択肢の一つとして検討しましたが……。

実際に入ってみたら、やはりすごく厳しかったですね。でも、周りの先輩方はすでに全国優勝を経験しているわけじゃないですか。「この人たちについていけば勝てる」と思ってやっていたから、迷いはなかったです。レギュラーに定着したのは、高校1年のインターハイあたりから。ちょうど、前の春高バレーのときに出場していた先輩がケガをして、代わりに出ているうちに……という流れでした。

「負けたら自分のせいだな」と思いながらやっていました

高校1年生のときのインターハイと国体は、特に自分の中でも印象が強いです。もちろん、自分たちの代で果たした国体での優勝も、大きな思い出ではあるんですが――。その1年生のときのインターハイ、コートに立っているメンバーのうち、僕以外は全員、春高バレーでの優勝メンバーだったんですよ。すでに勝ったことがある“勝って当然”のメンバーの中で、僕だけが違う。だから練習からずっと「負けたら自分のせいだな」と思いながらやっていました。練習中にサーブが入らなくなって、練習後に一人でサーブ練習をしたり……今でも覚えていますね。優勝したときは、うれしさよりも、ほっとした方が強かったです。

全国優勝という経験をしたのは、そのインターハイが初めてでした。全国の頂点に立ったという実感はあまりなかったです。とにかくがむしゃらにやっていた感じですね。でも、インターハイを勝ったことで、次の国体は少し楽に戦うことができました。結果的にそこでも優勝して三冠を達成したんですが……、その翌年に“勝った後のプレッシャー”が来ましたね。次の春高バレーで、僕らは前年度優勝チームとして出場したわけですが、全国優勝をコートで経験している選手は、僕を含めて3人しかいなかった。――やっぱり、勝ち方を知りませんでしたよね。僕らは前の年、ただ先輩たちについていっただけだったから。そのときの春高バレーはベスト8に終わりました。でも、勝てなかったこともそれはそれでいい教訓になったと思います。翌年には仕切り直して、最終的に国体で優勝することができましたから。

少しでも早くVリーグでプレーしたい

高校で全日本のシニア代表に招集されたときは、それこそ「まさか」という感じでした。どうして自分が選ばれたのか、理由すら分からなかったですね。それまでにもジュニアの代表には選ばれていたけれど、ほとんど試合にも出ていなかったし、「なんで自分がここに呼ばれているんだろう」と。でも実際、合宿に行ったら必死についていくだけで、そんなことを考えている余裕はなくなりましたね。ひたすら、がむしゃらにやるだけでした。

僕の場合、全日本にしてもVリーグにしても、気づいたら自分がそこにいたんです。普通は高校卒業後、大学に入って、その先にVリーグがあって、そのまた先に全日本があって……と進んでいくんでしょうけど、僕は何より先に全日本があった。代表に呼んでいただき、日の丸をつけてプレーしたことで、少しでも早くVリーグでプレーしたいと思うようになったんです。

同い年の選手がVリーグに入ってくるころ、僕は絶対に全日本に入っている

もちろん、男子で高校からVリーグに行って成功した選手は本当に少ないですし、悩まなかったといえば嘘になります。でも、それ以上に「やってやる」という決意の方が大きかった。シニア代表でトップレベルの選手たちに混じってプレーしたとき、「もしかしたら、やっていけるかもしれない」と思いました。高校3年生のときには「バレーボールで食べていく」と決めていました。それなら、大学に4年間通ってVリーグに入り、代表に招集されるのを待つよりも、すぐにVリーグに入って代表に選ばれるチャンスを待った方がいい。普通は大学の4年間で果たすレベルアップを、僕はVリーグで3年間頑張ればできると思ったんです。大学に進学した同い年の選手がVリーグに入ってくるころ、僕は絶対に全日本に入っている――そう決めて、Vリーグへ進むことにしたんです。

実際、Vリーグでは1年目から出場させてもらい、その年に優勝も経験させていただきました。自分と同じ代の選手が大学4年生になる年に、自分はプロになって、リーグでも優勝。他の選手たちが内定で入ってくるころには代表に定着していましたね。本当に運よくというか、偶然という感じではありますけど。

物事を決めるとき、人に相談することはありません。Vリーグに行くときも、前の会社を辞めてプロ契約をしたときも、イタリアに移籍したときも全部、両親には事後報告なんですよ(笑)。決まらないまま人に相談して、人に導かれた道を行くと、いざというときに逃げられるじゃないですか。「あの人に言われたから……」って。でも自分で決めたことからは逃げられないでしょう? だから、全部自分で決めるようにしていますね。

世界を知らなくては世界と戦えない

Vリーグ入り、プロ契約、イタリア移籍……。道を変えていくときに、それぞれ転機はありました。Vリーグ入りに関してはさっき言った通りですね。プロ契約については、1年目のリーグで優勝したんですが、2年目・3年目と勝てない年が続いたんです。毎シーズン、ベテラン選手が抜けていき、監督やメンバーも変わっていく中で、「このままだと勝てないな」という“感じ”が自分の中にあって。何かを変えなくちゃいけない、じゃあどうすれば――と考えたとき、一番てっとり早いのは、自分が変わることなのかな、と。

その時点で、選択肢は2つありました。自分がチームを出て海外に移籍するか、プロ契約をするか。どちらにするかを考えたとき、チームが勝てていないということは、すなわち自分にはまだ日本でやるべきことが残っているということなのだと思いました。そして、プロ契約の道を選択。そのシーズンのリーグで優勝して、MVPをいただくことができました。海外移籍に関しては、やっぱり北京五輪に出場したことが大きかったです。あのとき、五輪には出られたけれど、チームは1勝もできなかった。五輪で勝つためには、やっぱり、世界を知らなくてはいけない。世界を知らなくては世界とは戦えないと思いました。それが、海外へ出ることになった一番のきっかけになりました。

北京五輪の翌年にイタリアのチームへ移籍しました。そこで3シーズンプレーしたけれど、海外に出て、本当によかったと思っています。思っていた通りだったところもあれば、思っていた以上の収穫もありました。行く前は、外側からしか見ていなかったので、「海外の舞台でプレーしたい」という想いだけだったんですよ。でも実際に行ってみると、生活であったり、リーグ機構であったり、チームの組織であったりといったところが日本とはまるで違っていて。プレー面だけではない日本との違いを知ることで、逆に日本のよさにも気付きました。いちバレーボール選手として、いろいろな目を持つことができたと思います。

何かを変えれば勝てるんじゃないか

JTサンダーズは、自分にとって“?”がいっぱいのチームだったんですよ。非常に歴史のあるチームだし、今のメンバーを見ても「なんでこのチームが勝てないんだろう?」って。でも、だからこそ「ということは、何かを変えれば勝てるんじゃないか」という思いもありました。契約交渉でヴィスコ(ヴェセリン・ヴコヴィッチ監督)と話をしたとき、「この人が指揮を執れば、チームは変わるかもしれない」と思いました。今シーズンはヴィスコが来て、恐らくヨーロッパ型のバレーボールになる。イゴール(イゴール・オムルチェン選手/クロアチア代表・元JTサンダーズ)もいる。ここに自分が入ったらチームがどのように変わっていくか――それを想像したときに「これは勝てるチームになる」と思ったんです。

全員がお互いに言い合えるチームが一番強い

できるのに、やらない。正直、入部当初はチームに対してそう思いました。今は全然変わりましたよ! でも僕、そういうのはまったく遠慮しないで言うので(笑)。もちろん、みんな一生懸命だし、手を抜いているわけではないんです。ただ、自分で限界を決めているところがあったんじゃないかな。ここまでトップレベルでやってきている選手ばかりですし、それだけに「これ以上はいけないな」という判断もできてしまう。どこかで見切ってしまうところがやっぱりあったんだと思うんです。

もちろん、それは誰もがありますよ。僕だってあるし、イゴールだってある。だけどそこで、自分でリミットを決めてはいけないし、チームとしても決めさせてはいけないんです。人間は甘いので、絶対そういうのは出てきます。でも、それをさせないのがチームなんです。勝ちたくなければ、相手に言わなくてもいい。僕は勝ちたいので、言います。勝てないチームは嫌なんですよ。やっぱり勝ちたいので、やるからには。だから若手選手にも、ベテラン選手にも、外国人選手にも言う。もちろん、周りは同じだけ僕にも言ってほしいと思っています。1年目だろうが10年目だろうが、世界でやっていようが、代表に入っていようが、コートの中では関係ないんです。全員がお互いに言い合えるチームにならないといけないし、そういうチームが一番強いと思います。

全員が「JT、勝てるぞ」と信じられるシーズンにしたい

入部前の契約交渉の場でJTのフロントの方に言われたのは、「勝つことを知っている選手に、チームにいてほしい」ということ。それに「勝つために何が必要なのかを若手選手たちに伝えてほしい」ということでした。難しいことを言うなあ、と(笑)。「勝つ方法は、自分で勝たないと分かりません」と僕は答えました。でもそれは本当なんです。僕自身がそうだったように、リーグ1年目に優勝させてもらったからこそ、勝つことの難しさも、何が必要なのかも知ることができましたから。

実際に勝てるかどうか、それはやってみないと分かりません。JTサンダーズも長い歴史のあるチームだけれど、まだ1度も優勝できていないですよね。そのくらい、勝つことって難しい。だけどそれでも僕は「勝ちたい」と思ってやっているし、もしも今シーズン、優勝できなかったとしても、全員が「JT、勝てるぞ」と信じられるシーズンにしたいんですよ。ファンや他のチームだけではなく、何よりも当事者である選手全員が「このままいけば勝てる」と思わなくちゃいけないし、分からなくちゃいけないんです。たとえ負けても次につなげないといけないし、それがセミファイナルにつながって、ファイナルにつながる。そういうゲームを今シーズンは増やしていかなければいけないと思います。そうすれば自ずとセミファイナルやファイナルにも行けると思うし、それができれば自ずとチームは勝っていると思います。

僕を抜いてくれたっていいんです

僕、以前は自分がやっていることを人に見せたくなかったんですよ。僕の身長は189cmなんですが、国内のトップや海外に出れば、サイドで190cm台の選手なんていくらでもいるじゃないですか。そういう相手と戦うのに、人と同じことをしていても勝てないでしょう。だからたとえば一人で練習しているところも見せたくなかったし、栄養管理や試合前の準備といったような、練習以外のところも見せたくなかった。

でも、海外での経験などを経て大分変わりました。今は、僕が持っているもので、もし「いいな」と思うものがあれば尋ねてくれて構わないし、どんどん吸収して自分のものにしてほしいと思っています。僕を抜いてくれたっていいんです。今の僕が変わらないまま、同じチームの若手選手が僕を抜くということは、その分チームがレベルアップするということです。それは絶対にチームにとってプラスですから。もちろん、僕がやってきてよかったことが他の選手にも合うかどうかは分かりません。でも、そこから先は彼らが自分自身で探すものです。僕がやってきたことをもとに、何かを見つけてくれたらいいな、とすごく思いますね。

この間、大輔(八子大輔選手)が試合後の記者会見で「いつか抜きます」って言ったので、「いくらでも抜いてください」って返したんですけど。全然、抜いてくれていいんです。でも、まだまだ抜かせるわけにはいかない(笑)。もし負けたら、また負けないように何かすると思います。その自信はありますね、はい。

※本記事は2014年1月時点のインタビューに基づいたものです。

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