町野仁志選手のインタビュー

JTサンダーズのミドルブロッカー、町野仁志選手のインタビューです。

今はとにかく、一生懸命バレーボールに打ち込みたい

ひとつひとつの動作が野球に似ていると感じたんですよね

小学2年生から6年生までの5年間、ずっと野球をしていたんです。当然、中学校に入ってからも続けるつもりでした。でも、中学校に野球部がなかったんです。それでも何かスポーツはやりたいし、どうせやるなら球技がいいかなと思って体験入部をしたのが、バスケットボール部とサッカー部。でも、実際にやってみると、「これはダメだな」と感じるほど、あまりにも他の同級生たちとの実力差があって……。

そこで残ったのが、テニス部と卓球部、そしてバレーボール部でした。とりあえず、バレーボール部の練習を見に行ったんです。その時、ひとつひとつの動作が野球に似ていると感じたんですよね。“ボールをキャッチするときは正面で捕らえる”とか、“ボールを投げるフォームとアタックのフォームが少し似ている”とか。それで、すぐに体験入部をしてみようと思ったんですけど……。バレーボール部には、体験入部後に体育教官室で出されるスポーツドリンクを飲むと、必然的に入部が決定するという“しきたり”があったんです。

バレーボール部への入部を決定づけたスポーツドリンク

それでも、とにかく体験入部をしてみようと思って、練習に参加したんです。そうしたら、予想以上に楽しかったんですよね。その後、噂通り体育教官室に呼ばれて、スポーツドリンクを出されたんですけど……すぐに飲んじゃいました(笑)。やっぱり、練習の後は疲れているし、ものすごくのども乾いているじゃないですか。しかも、コップに注がれたスポーツドリンクが、普段以上に美味しそうに見えるんですよ。その瞬間、入部が決定しましたね(笑)。

入部当初は、結構苦労しました……。身長は高い方だったんですけど、バレーボールセンスがまったくなかったんです。いるじゃないですか、もともとスポーツセンスを持っているタイプって。自分自身は、結構そういうタイプだと思っていたんです。ある程度はやり始めてすぐにこなせるというか、今までやっていたスポーツは、だいたいすぐにレギュラーをとれたりしていたんですよ。それが、バレーボールは違いましたね……。同時期に始めた同級生たちが、先にレギュラーをとりましたから。ただその後、徐々に練習をしていくうちに、なんとかレギュラーをとり、弱いチームながらもエースになれましたけどね。

バレーボール人生において、大きな意味のある出来事となった『さわやか杯』

中学3年生のときに東京大会で5位になり、関東大会に進出したのが、中学時代の最高成績。だから、決して強豪中学校ではなかったんです。それなのに、『さわやか杯』の選抜メンバーに選ばれたんですよね。『さわやか杯』の監督は、隣の中学校の監督でもあったんですけど、熱心に自分のことを推薦してくれたんです。それがなければ、当時の実力では選ばれなかったと思います。

当然のように、練習にはついていけなかったですね。4カ月間、ほぼ毎日練習。こんなにハードな練習というか、バレーボール漬けの日々は初めてでした。ただ、練習自体はきつかったですけど、集まった12人は顔見知りの選手ばかりだったので、楽しかったですね。初めての体験や新しい環境などを何よりも“楽しい”と感じるタイプなので。それに、この期間でかなり技術が上達したし、バレーボール人生において大きな意味のある時期になりました。『さわやか杯』終了後、全日本代表メンバーの12人に選出されて、海外で行われた世界大会にも出場できましたしね。

全国優勝を目標にしていた高校時代、そして、本格的にバレーボールのことを考え始めた大学時代

実は、東洋高校(東京都千代田区)に入学するまで、強豪高校ということを知らなかったんです。だから、「強い高校なんだ……」ということは、入学してみて改めて実感しました。でも、バレーボール漬けの日々だった『さわやか杯』の期間でそれなりに技術も向上していたし、その後、世界大会を経験したことが少なからず自信にもなっていたので、練習についていけないということはなかったです。もちろん、「ちょっと難しいな……」という部分もありましたけど、半分くらいは通用するレベルになっていたと思います。

とにかく高校時代は、東京で優勝するのが目標ではなく、全国で優勝したいと思いながらやっていました。ただ正直なところ、心から“勝ちたい!!”と思い続けていたというよりは、目の前のことを着実にこなすことで精一杯という状態でしたけどね。中学時代とは違って、上下関係もありましたから。ただ、その時のことって、意外と今に生きているんですよ。敬語の使い方とか挨拶とか基本的なことなんですけど、今にすごく役立っていると思います。

本格的にバレーボールを続けていきたいと思い始めたのは、亜細亜大学時代。チームの中心的な選手としてやっていましたけど、常に現状に満足することはなかったですね。それは、自分自身がプレーに納得ができていなかったからなんです。だから結構、練習は真面目に取り組んでいました。

今が、バレーボール人生の中で一番楽しい

高校時代や大学時代は、下手くそだと感じながらも、レギュラーとして試合に出ていました。だから、どんなに周りが評価をしてくれても、自分自身はプレーに納得ができていないこともあったんです。だから当時は、常にジレンマを感じていました。やはり、自分自身がプレーに納得していないと、達成感がないですから。逆に今は、バレーボールは全然できていないかもしれないけど、バレーボール人生の中で一番楽しい。トップチームの厳しい環境の中でバレーボールをやれるというのもあるし、難しいからこそ楽しさもあると思うんです。

確かに、JTサンダーズに入ってからの1年目は、本当にきつかったです。大学生とVリーグとのレベルの違いや実力差をものすごく感じましたから。自分のプレーがまったく通用しないと感じて、いろいろなことを考えました。何より痛感したのは、高校や大学でやってきた練習や考え方ではいけない――ということ。試合だけではなく練習でも、許されるミスは1本もないんです。今はとにかく、一生懸命バレーボールに打ち込みたいという想いが強いですね。

自分の納得がいくレベルのプレーをコンスタントに続けられる選手になりたい

JTサンダーズに入って初めて、自分の納得がいくプレーができたのは、「第12回Vリーグ」開幕前の北海道合宿。その後のイタリア遠征でもちょこちょこ出場して、数字としてきちんと結果が残せる試合もありました。そういうふうに、自分が納得がいくレベルのプレーをコンスタントに続けられる選手になりたいです。徳元さん(徳元幸人コーチ)のように、いつでも堅いプレーをできる選手というか。だから今はとにかく、自分の納得がいく、思い通りのプレーができるような形で試合に出たい。自分の中でも、もっともっとやれると思っていますから。

※本記事は2006年2月時点のインタビューに基づいたものです。

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