JTサンダーズ

小野寺太志選手のインタビュー

JTサンダーズのミドルブロッカー、小野寺太志選手のインタビューです。

僕が出ることでチームが安心する選手になりたい

野球からバレーボールに……

両親ともにバレーボールをやっていましたが、僕自身は小学3年生の夏に、両親に「何かスポーツをやりたい」という話をして、地元のクラブチームで野球を始めました。それまでに体操や水泳などもやっていましたが、本格的にスポーツに取り組むのは野球が初めてでした。結局、野球は中学校の部活でも続けました。ポジションはファーストで4番を打つことが多かったです。

バレーボールを始めたきっかけは中学3年生で野球部を引退した夏に、父から全国都道府県対抗中学バレーボール大会の宮城県選考会への参加を勧められたことです。
その時は「参加しないか?」というよりも「参加しろ!」という感じでした(笑)。

僕は小学校に入学した時からずっと大きくて、身長が小学6年生で175cmぐらい、中学3年生の時には195㎝ぐらいあったので、中学2年生の時にも選考会の参加に声をかけていただいていましたが、その時は「野球をやっているんで」と断りました。しかし今回は野球部も引退していたので断る理由もなく、親の知り合いが選抜の監督をしていたこともあって参加することになりました。それで実際参加したらなんと合格してしまったので、バレーボールを始めることになりました(笑)。

選抜チームに合格しましたが、野球は続けたいと思っていたので高校入学までの期間限定でバレーボールをするつもりでした。バレーボールは体育の授業ぐらいでしか経験がなかったので、本当にど素人で下手くそでしたね。やりたくてやってるわけではなく、むしろやらされてる感すらもありましたから、モチベーションも上がりませんでした。
当然ですがチームメートはみんなうまくて練習のレベルも高かったので、僕だけできないという状態が続き、ゲーム形式の練習にさえ出られない状態でした。また経験不足を補うために選抜チームの練習だけでなく、中学校のバレーボール部の練習にも参加することになりましたが、野球部を引退した友だちが羽を伸ばしていたのを見て、自分はそれを我慢しなきゃいけなかったことも辛かったですね。
だから当時はバレーボールをすることが本当に面白くありませんでした。

ただ選抜チームのチームメートには恵まれたと思います。最初はこのチームでうまくやっていけるか一番心配していましたからね。以前からの知り合いが選抜チームに合格していたので、彼とずっと二人でいることになるのかなと最初は思っていましたが、チームのキャプテンともう一人のチームメートが、右も左も分からない未経験者の僕にいろいろ教えてくれたり、話しかけてくれたりして良くしてくれたんですよ。
僕は身長も大きく目つきもあまりよくないので怖いと思われがちなんですけど、それでも本当に良くしてくれたので、このチームにすんなり入っていくことができましたね。

夏からバレーボールを始めて、最初は基本のプレーすらできない状況でしたが、10月の練習でようやく“スパイクを打てた”んです。
これまでも身長が大きいから打つことはできましたが、この時は「うまくいった」という感覚が初めてありました。今なら当たり前のことなんですが、初めてみんなが打っているように気持ちよく打てましたからね。そこからバレーボールが楽しくなって、最初はアンダーパスすらもできなかったのに対人パスができるようになったり、サーブもうまくできたりして段階を踏んで上達しました。

あとチームメートとはバレーボールについて最初は本当に初歩的な話しかできませんでしたね。それが技術の上達に伴っていろんな話ができるようになりましたし、練習にも付き合ってくれて、僕がうまくなっていくことをみんなが喜んでくれて、僕のことを受け入れてくれました。そこからバレーボールが好きになっていきました。良いチームメートに恵まれましたね。
12月に開催された全国都道府県対抗中学バレーボール大会はベスト16でした。スタメンではなくワンポイントブロッカーばかりで全く通用しなかったですし、得点も挙げられませんでした。それどころか短い時間しか出場していないのに失点をしてしまって……。
練習ではうまくいくのに、なぜ試合ではうまくいかないんだろうと痛感しましたね。夏からバレーボールを始めて圧倒的に練習が足りなかったんだなと……。練習でできたことを試合できちんとできるようになりたかったですし、そのためにもう少し高いレベルでバレーボールを続ける必要があると思いました。
全国大会で全く通用しなかったことがバレーボールを続けるきっかけになりましたね。

問題児だった高校時代

高校は地元の東北高校(宮城県仙台市)に進学しました。もともと選抜チームに入った時点で話は来ていたみたいでしたが、返事は保留にしていました。ただ全国大会終了後に「野球かバレーどちらにするか自分で決めてくれ」と言われたのでバレーボールを続けることに決めました。その時はもうバレーボールが好きになっていましたからね。
入学してすぐにミドルブロッカーに転向し、3年生の時だけアウトサイドヒッターをやっていました。

自分で言うのも何ですが、高校時代は問題児だったと思いますよ(笑)。トレーニングだったりやりたくない練習をさぼったり、部の規則を破ったりして1年生の時から先輩によく怒られましたね。ただ先輩との関係は悪くなかったですよ。いつも怒られているっていうよりも、良くしてもらいながら要所要所怒られてたって感じでした。
部では問題児でしたが、試合は1年生の時から出場していました。チームは勝っていましたが、自分はなかなか良いプレーができていませんでしたし、まだまだ足りない部分が多いなと感じていました。
例えば、スパイクは県大会ぐらいだと決まるんですが、全国大会では決まりませんでした。だったら、どういう助走で行けば強いスパイクが決まるか、どういうブロックをしたらより点が取れるようになるのかと自分で考えるようになって、そこから練習をしっかりこなすようになりました。その後、全日本ユースの合宿に選ばれて、同い年の選手がどれだけすごいのかを肌で感じて、より練習をするようになりました。
ただチームプレーの意識は低かったですね。本来であれば上級生になるにつれて、僕がチームを引っ張らないといけないのですが、僕がやらなくても他にやる人間がいるだろうと思っていました。やる時はやっていましたが、しんどい時は手抜いてましたし。「自分が良ければチームが勝つ」と思っていたので、自分のプレーがうまくなるように考えたことはあった反面、チームが良くなるためにはどうすればいいのかを考えたことはほとんどありませんでした。

周りの姿を見て意識が変わった

大学は東海大学(東京都渋谷区)に進学しました。高校2年生の時に数校からスカウトが来ましたが、東海は「自主性」というイメージがあって、自分が望めばいくらでも成長できる反面、自分が楽をしたければ進歩のないまま終わってしまうと思っていました。やっぱりバレーボールはやらされたくはなかったですし、自主的に成長したいと思い進学を決めました。

入学したての時は周りから「小野寺ならすぐ試合に出場できる」って言われていて舐めていました。だから、ちょっと頑張れば1年生から試合に出場できるだろうと思っていました。ただその後、部の環境から意識が変わりましたね。
試合に出場している選手はもちろん、試合に出場しないサポートメンバーでも常に全力で練習をしていたんですよ。あと下級生がスタメンで出場していると、出場できない上級生って普通なら腐ってしまうじゃないですか? でも東海はそういうことはなく、みんな練習を全力でやるんですよ。
僕らの中ではキャッチフレーズではないですが「チーム一丸全員バレー」という言葉がありました。日本一になるにはチームの誰かが手を抜けばダメになるし、頑張った人しか日本一にはなれません。そのためにはチーム全員で日本一を目指す必要がありましたから、この言葉を胸に努力を続けました。
僕自身けがなどでベンチにも入れずに観客席で応援したりドリンクを作ったりすることも経験しました。試合があるとき、出場しない部員は先に会場に行って準備をするため、試合に出場するメンバーと別の行動になるんですよね。僕がサポート側に回ったときは、試合に出場できない分、辛さや歯がゆさを非常に感じました。しかしその一方で、見えないところでサポートメンバーに助けてもらっていることを実感しました。応援も含めて、試合に集中できる環境を作ってくれることでチームが成り立っているんだと感じたときに、東海を選んでよかったって思いました。だからこそ、出場するメンバーには責任があるし、その責任を背負ってプレーするからどんどん強くなるんです。逆に「いや、俺は俺だ」とわがままを通そうとする人もいるけど、そういう人には誰も手を貸さないし、その結果落ちていくと思うんです。本当にいい意味で「チーム」というものを東海では感じました。

4年生の時にはキャプテンを務めました。3年生の時に同級生の中で話し合うんですが、それがかなり揉めまして……。最終的に期待を込めて僕を選んでくれました。
ただそれまでキャプテンの経験がなくて、右も左も分からない状態で40人ほどのチームを引っ張っていかなければいけませんでした。練習でもパッとしなかったし、キャプテンらしさがないって思われたらしくて同級生の中にも不満があったみたいです。僕もそのことはうすうすと感じていました。ただそんな時、彼らはアドバイスをしてくれて助けてくれたんですよ。キャプテンを務めた1年間は自分のことよりもチームのことを常に考えるようになりましたね。

大学3年生の時には日本代表に初めて選出されました。話を聞いた時は気持ちが高まりましたね。ただ僕が合流したのがOQT(リオデジャネイロオリンピックバレーボール世界最終予選)で負けた後のワールドリーグでしたので、当然チーム内の雰囲気は良くなかったです。入っていくのをためらう感じの中で大学の先輩である清水さん(清水邦広選手/パナソニックパンサーズ)など先輩方に話しかけていただき、良くしてもらいました。4年生の時は本来のミドルブロッカーとして選出されましたが、アウトサイドヒッターにコンバートされることになって、辛かった印象しかないですね。高いレベルの中で必死に練習をしたのですが、うまくいかなかったです。

思い出の試合は4年生の秋季リーグ最終戦ですね。中央大学との対戦でしたが、チーム状況は良くなくて、僕自身も日本代表のバレーボール・ワールドグランドチャンピオンズカップから帰ってきて2週間後で、しかも代表ではアウトサイドヒッターを務めていてようやくミドルブロッカーとしての感覚が戻ってきたので本調子ではありませんでした。
そうしたチーム状況だったので、試合前に4年生で集まって話し合うことになりました。そこで出た結論は、チーム状況に関わらず試合に出るメンバーはサポートメンバーのためにも責任を背負ってプレーしなければいけないということでした。試合では僕を含めてその4年生が良いパフォーマンスを発揮し、勝利を挙げることができました。リーグは7位でしたが、なかなか勝てなかった分、最後、苦しんで勝った1勝がとても大きく感じて、一番思い出深い試合です。

怖い人だらけだったJTサンダーズ

JTサンダーズに入部を決めたのは大学4年生の6月です。いろいろなチームから話は来てましたが、何を基準に選ぶんだろうと思ったんです。それを考えた時に強いチームに行って勝ちたいことと、その中で応援される選手になりたいということでした。それが強くて広島からものすごい応援されているのが、JTサンダーズでした。広島は宮城や東京から離れていますが、場所は気にしませんでした。あとは大学の先輩が何人かいたのも選んだ理由ですね。

東海大学では、毎年夏合宿でJTサンダーズにお世話になるのですが、正直怖い人だらけだなと思っていました。安井さん(安井勇誠さん/元JTサンダーズ)、トイさん(筧本翔昂選手)、井上俊輔さん(元JTサンダーズ)、町野さん(町野仁志さん/元JTサンダーズ)はめちゃくちゃ怖かったです。あっ、深津さん(深津旭弘選手)が一番怖かったです、本人には言えませんが(笑)。
僕は内定選手としてチームに早くから帯同して、年始からすぐ試合に出場させてもらっていました。チーム作りを早く行いたいという意図もあったと思うのですが、本当によく面倒を見てもらいましたし、持っていた怖い印象も無くなりました。というか、それがこのチームの悪いところなんですよ(笑)。初めて来場した人は格好つけているみんなの姿を見て「怖いな」と思うでしょう。それがよく来てくださるファンの方は、「みんないい人、良いチーム」って思うようになるのと同じことだと思います。本当にみんな格好つけてるんですよ(笑)。先輩はみんな優しいですし、トイさんなんかめちゃくちゃいじられてます(笑)。

相手の対策を上回る選手になりたい

昨年はVリーグのレベルが分からない中で、最初はどっしりと構えられなくて、周りに圧倒されていた部分もありましたが、試合を重ねるごとに徐々に慣れていきました。活躍できた試合も多少ありましたし、個人的には良くできた方だと思っています。今後シーズンを通して戦っていくときに何が必要なのかを考えるいい機会にもなりましたし、新しい挑戦をしていかなければならないと思いました。
今シーズンは相手も対策をしてくると思います。それを上回る選手になりたいと思いますし、昨年の試合経験をチームに還元して、引っ張っていきたいです。
JTサンダーズの中では新人ですが、日本代表に選ばれている立場なので「日本代表に入ってるやつがこんなこともできないの?」と思われたくないですね。入部1年目ですが、チームでも代表でも欠かせない存在にならなければいけないと思います。僕が出ることでチームが安心する選手になりたいです。引退するまでずっとそういう存在であり続けたいです。目指すところは高く設定しないとダメだと思っています。

本記事は2018年9月時点のインタビューに基づいたものです。

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