ロジャーズ海選手のインタビュー

JTサンダーズのウイングスパイカー、ロジャーズ海選手のインタビューです。

スポーツ少年が見つけた“一番楽しいスポーツ”

バレーボールは清和台中学校(兵庫県)に入学してから始めました。部活の体験入部のときにボールをもらったことでテンションが上がって「入るしかないでしょ!」って。それがきっかけです。笑 でも、やってみたらスパイクもブロックもできちゃって「バレーボールってこんなに楽しいんだ!」ってすぐ好きになりました。小学生までは水泳、ラグビー、テニス、バスケ、サッカー、いろいろなスポーツをやっていましたが、他のどのスポーツよりも面白かったですね。監督がずっとバレーボールをやっていた方だったので、教えるのがうまかったんだと思います。練習は厳しくて、特に毎朝、空の500mlペットボトルに砂を詰めて、両手に持って走るトレーニングは嫌でした。笑 他のみんなも初心者だったんですけど、頑張ってどんどん強くなって、中学2年生のころには全国大会にも出られるようになり、僕自身はJOCジュニアオリンピックカップの選抜にも行きました。当時はまだ技術のことはよく分からなかったですけど、うまい選手はたくさんいて、特に藤中謙也さん(サントリーサンバーズ)がいた中学校と対戦したときは、とにかく「すごい人を見た!」っていう感じでしたね。

中学時代、思い出の試合

中学時代の試合では、初めて県大会で優勝したときのことが印象に残っています。準決勝、僅差で緊張が続く試合で、次、決まれば決勝という場面が来て、相手エースのジャンプサーブをなんとか凌いでオープントスが上がって、僕が思いっきり振りかぶって打ったら、スカしたような手ごたえで、「やっちまったー」って頭を抱えてうずくまっていたんです。そうしたらうしろから歓声が聞こえて、どうやらそのボールが無回転でゆっくりコートの角に入ったらしくて。それで勝ったんですよ!笑 みんなですごく笑いました。それでリラックスできたのか、その後の試合もいつも以上に落ち着いてプレーできて、相手コートの空いてるところがよく見えたし、楽しんで勝てた思い出の大会です。
高校進学については、迷うことはありませんでした。うちの中学校は市立尼崎高校(兵庫県尼崎市)と交流があって、毎週一緒に練習をさせてもらっていました。市尼の選手は強すぎて毎回圧倒されていましたが、そのうち自然と「ここに入って頑張ろう」という気持ちになっていました。

激闘の国体3位 悔しさと嬉しさ

実際に入部してみたら、コーチも監督も優しかったですね。よく覚えているのは、合宿で体調を崩してしまったときのことです。その日の試合にはどうしても出るしかなくて、スパイクをバシバシ打っては、セットが終わるごとにトイレに籠るっていうのを繰り返すような状態でした。そうしたらその練習後、コーチが食堂の人に「海におかゆを作ってください」って言ってくれて。弱っていたので、その優しさがすごく嬉しかったですね。……休めばいいと思うんですけど、そんなときでも必要とされれば出てしまうんですよね、僕。笑
高校時代も忘れられない試合があります。3年生で出場した国体です。石川祐希(中央大学)がいる星城高校と当たった準決勝、5セットマッチで、全セット2点差で最終セットまで行って、ジュースっていう状況でした。そこで、アウトかインか微妙なラインのボールがインになって……。そのまま負けました。石川の連覇をもう少しで止められるところだったので悔しかったですね。試合後足元を見たら、シューズの裏がはがれていました。次の試合もそのシューズのまま戦って、航(井上航選手)がいた崇徳高校に勝って3位になりました。その大会はそれまでで一番の激闘だったし、自分が出た試合でメダルをもらったのは初めてだったので3位でも嬉しかったですね。

キャプテンとして成し遂げた春リーグ優勝

大学は、筑波大学(茨城県)に進学しました。当時、筑波大学は練習がキツイことで有名で、市尼の選手からは「筑波にだけは行きたくない」と言われていました。2学年上の宮内健嗣さん(元・つくばユナイテッドサイガイア)も筑波大学に進んでいて、相談したら「ここはお前の来るところじゃない……」と本気で止められました。笑 実際に入ってみたら練習だけでなく、上下関係も本当に厳しくて宮内さんにいつも面倒を見てもらっていました。入部してから、それまでできなかったフライングレシーブの練習をめっちゃしたことをよく覚えています。
4年生になってキャプテンになりましたが、それまでキャプテンを務めたこともなかったし、自分の練習だけじゃなくチーム全体を見ないといけないという大変さがありました。僕はうるさく言うタイプではなかったので、たくさん練習をすることで、バレーボールに対する姿勢を見せようと思って務めました。

大学3年生のインカレと、4年生の春リーグは特に印象深い大会ですね。インカレでは、初めて決勝のセンターコートに立って観客もたくさんいて、そこで、関田誠大さん(パナソニック・パンサーズ)がいた中央大学と当たりました。中央大学には石川もいて「やっと高校時代のリベンジができる!」と思って挑んだらストレート(負け)で返り討ちにされました。地力の差、ランクの違いを見せつけられた試合でしたね。でも、そのおかげで「春は新体制で絶対に勝とう」ってメンバーが一丸となれて、実際に春リーグで優勝することができました。

教員志望からVリーガーへ

僕、周りからはけっこう真面目に見られることが多くて。小さな失敗はあってもまっすぐな人生を歩んできたんですよ。大学ではちゃんと授業も受けていたし、将来は教師になろうと思っていました。教育実習も行って中高の教員免許も取ったし、部活の打ち上げでお酒に呑まれることもなく、健全な学生生活を過ごしました。笑 Vリーグを意識し始めたのは大学2年生の夏です。地元のクラブチームから試合に帯同してほしいと呼ばれていたのですが、大学の監督に「Vリーグでやりたいならパナソニック・パンサーズとの合宿に来い」と言われて。そのとき初めて「僕にもそのチャンスがあるのかな」って希望を持ったんです。そこからもう、練習しまくって、監督も「お前はVリーガーになるんだ」って言い続けてくれました。そして、大学3年生の春にJTサンダーズの関係者が、試合を見に来てくれて。サンダーズは日本一のチームだと思っていたので、そこの関係者が声をかけてくれたことは本当に嬉しかったです。それでさらにモチベーションが上がって、もっと練習するようになりました。笑 入部が内定したときは、まだ大学の試合も残っていたので、喜びは押さえて気合を入れ直したことを覚えています。
JTサンダーズの先輩たちはみんな優しいですよ。今は高校・大学で先輩の久原大輝さんが練習もトレーニングも見てくれていて、とてもありがたいです。

誰よりも必死に頑張るだけ

高校2年生まではミドルブロッカーをやっていて、高校3年生から大学時代はサイドアタッカーをやっていました。僕はそこまで高さがあるわけでもないですが、しっかり見て打つタイプで、ブロックの間や指の先、空いてるコースをぎりぎりまで見て狙う、そういうプレーを見てもらえればと思います。まだレシーブもブロックも大きな武器とは言えないですが、自分を誰よりも「頑張れる人間」だと思っているし、今後どれだけ成績を残せるかで人生が決まるので、必死ですよ。やるだけです。今までバレーボールだけで生きてきたから、もう人生の一部になっていて、他にやりたいことはないし、興味もありません。小さいころから夢だったスポーツ選手になることができて嬉しいし、バレーボール中心の生活ができるので本当にありがたいです。まだまだこれからですけど、褒められると伸びる性格なのでたくさん応援してください。笑
あ、でもバレーボール以外何もしてないヤツってわけじゃないですよ! 最近はよく自転車に乗っています! オフの日には3時間くらいサイクリングしたり、知らない街まで行ってしまったこともあります。いつか四国一周したいと思っているんですよ。しまなみ海道を通って、橋を渡って……。あれ、オフなのに全然体休まっていない…。笑 ほどほどにします。笑 

本記事は2017年7月時点のインタビューに基づいたものです。

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