家族への手紙

「金メダルよりも大切」な手紙

世界を舞台に戦ってきた猫田は、広島から遠く離れた日本や世界の各地から、妻や子供へ多くの手紙を送っている。
「金メダルよりも大切」と禮子夫人が語るように、バレーボールのこと、家族のこと、さまざまな思いが綴られている手紙は、家族との温かな絆の証なのだ――。

ヒザも良いようです。調子よく、気持ちよく練習しております

1967年4月7日付
恋人時代の禮子夫人へあてた手紙より

拝啓
4月3日、出発して一週間になりますが、お元気ですか。
日本平は、前方に富士山が美しく見える所で、ここ2、3日、曇りの日が続き、姿を見せてくれません。
曇りがちの日は暖かく、日本平は海に面した方は桜は満開となっております。広島ももう咲くころと思います。
また、新工場も今日から始まりますから、忙しい毎日となることでしょう。
合宿練習は大学が主体で全日本(池田、森山、中村、猫田)の方は遊んでいるようなものです。試合をしても本気でやると勝ちます。あまり勝ちすぎると松平さんが怒りますので、少しは負けてやっていますが、この調子では大学はソ連には勝てないでしょう。
広島には11日の昼ごろ、飛行機で帰ります。旅館はいつもの本川旅館です。11日に電話するように。
ヒザも良いようです。調子よく、気持ちよく練習しております。禮子も試合があるとか。毎日練習していることと思いますが、少しは美容体操でもして動きをよくするように。失礼。
今泊まっている所は最高のホテル(我々の所は日本式)です。1日泊まれば5000円(一人)はかかるでしょう。食事でもサシミが500円より、赤だし200円、天ぷら定食1500円、今までもこんな所へ泊まったことはありません。
富士山は見えるし、ホテルは一つ、この附近の土地は社長(ホテルの)が全部買いしめているそうです。
ホテルの地下にはボーリング場、ダンスホール、そのほかの娯楽施設があるなど大変な所です。
街とは離れているし、ボーリング場へも行きませんのでお金は時々ビール1本、それだけしか使いません。
それでは11日に会いましょうね。楽しみにしております。

禮子へ

勝敏

ソ連戦で勝つ自信がやっとわいて参りました

1968年3月10日付
婚約時代の禮子夫人へあてた手紙より

拝啓、3月も10日、大変暖かくなって参りましたね。
長崎は大変良い所で練習をするにも、一番良い季節だろうと思われます。毎日厳しい練習ですが、練習が終わって、今日も気持ちよく一日が終わったと満足できる日々を過ごしております。
広島にいた10日間、逢ったのは四度ぐらいですが、身近な所に禮子がいるだけで気が楽で安心しておられますが、遠く離れているとまた、病気をしないだろうかと、寝る前にはいつも考え、心配しております。
合宿には南さんも参加しておりました。5日間だけでしたが、昔のプレイを忘れていません。スパイクもほかの者に負けないぐらい。クイックスパイクは今でも南さんのが最高でしょう。
これで南さんもメキシコの自信がついたでしょうし、南さん、池田さんがベンチにいていつでも出られるだけ、チームの層が厚くなって参りました。
4月の13日がソ連戦(広島大会)ですね。13日の朝早く広島に着くらしく、試合は2時から。14日の“はと”(12時10分)で東京へ向かうそうです。
ソ連戦で勝つ自信がやっとわいて参りました。
松平さんも私と心中するぐらいの気持ちでおられるようで一番しっかりしなければならないのが私です。
試合はすべて私の指揮で進められるわけで、私の作戦のちがいから敗戦につながることもありうるわけです。
ソ連戦ならまだいいでしょうが、メキシコではそれもゆるされません。それだけ私は重大な任務にあるのです。
この1年間、残り6カ月しかありませんが、この間一生懸命努力してみます。

禮子へ

勝敏

男と生まれたからには、何か一生のうちで大きい仕事をしてみたい

1968年3月22日付
婚約時代の禮子夫人へあてた手紙より

前略、日ソ戦まで残るは10日となりました。
勝つ事のみ考え、毎日厳しい練習にたえております。時には、我々はなぜやらなければならないのか、とも思います。池田さんと喫茶店に入っていても、ほかの客は皆アベックです。街を歩いている人たちも若者は二人づれです。
そんな姿を見ていると、禮子にすまないと思うことがあります。禮子は寂しくて一人で待っているだろう。
松平監督は「世界一になる」、しかし1位になれなくともその練習で養った精神力が大切とも言います。しかし、世界一、大変な事です。しかし、なったところで何になろう。精神力(今以上のもの)がどこに必要か、自分で考えてみて無駄な事とも思えます。
しかし、男と生まれたからには、何か一生のうちで大きい仕事をしてみたい。それが今のバレーボールでしょう。
まだまだ若い、ほかの若者たちがデイトし、楽しく過ごしているのに、禮子と離れ離れになり、過ごさねばならないかと思うと、私は今大きな仕事ととりくんでいるからいいようなものの、禮子には何がある。
近ごろ何かと眠る前に考えるようになりました。何の便りもないし、禮子は今、何を考えているのだろうかと……。毎日、会社へ行って、面白くもない仕事をして、皆と話す事ぐらいしかないでしょうね。
そんな時、未来の二人の姿、あるいは子どもをつれて桜でも見に行っている姿を思い浮かべてください。
そんな未来の楽しい姿こそ、生きるよろこびを与えてくれるでしょう。
平凡な生活。今の二人、平凡ではない。私が世界一になれるかどうかはわからないけど大きな仕事をしている。
この今の生活が終わった時、どこにでもある平凡な生活を築きましょう。それまでいろいろな寂しい事、悲しい事があるでしょうが頑張るように。
卓球もせねばならぬ、習い物もある、遊びたいだろう。いろいろな事があるでしょう。お互いに若いから、遊びたい、デイトしたい。ほかの若者を見ていると、つい思い出してしまいます。
しかし、こうして手紙を書く事によって、自分でガマンしています。
広島に帰った時、オオ、元気か、と言えるように……。

禮子へ

勝敏

桂子が喜ぶのなら、少しの苦労も嬉しいものです

1969年8月28日付
禮子夫人へあてた手紙より

前略。
早いものでもう9月に入りますね。遠征の三分の一を過ぎました。ソ連での試合は今2勝。今日、ソ連と対戦します。今日勝てば優勝できるでしょう。
昨日はポーランドと対戦。1セット目を落としましたが、後を日本のペースで取りました。1セットぐらい落としても落ち着いているのは銀(メダル)の自信かもしれません。
2試合ではトスに少しさえが見えませんでした。しかし、今日は神経をピリリとしめてかかりますのできっといいトスが上がるでしょう。
私のほうは以上のような調子です。が、育児の方はいかがですか?
少しは母親らしい仕事ぶりになりましたか? 失礼。
大きくなって抱いていられないのではないかと心配です。この手紙が着くころには1カ月になりますね。
出生届やそのほかの手続きは終わりましたか? いろいろあって大変でしょう。病院にも時々行っているでしょうが、育児の方法、勉強するように……。産休の方はうまくやってください。早いものでもうすぐ1カ月ですから、産後にまわしてもらってください。しかし、体の調子さえよくなったら会社に出た方がいいかもしれませんね。 いつまでも休んでいたら、今度出勤するのに嫌になるかもしれません。
広島の方はまだまだ暑いことでしょう。あせもができているかもしれませんね。これから冬に向かうわけで、着る物も買ってやらなければなりませんね。
スウェーデンに帽子があったのですが、着る物は日本の方がいいと思って買いませんでした。
高村部長、小畑部長らのお土産は何にするか今こまっております。奥様にこはくのネックレスを考えておりますが、こはくのネックレスはある程度年のいった人の方が似合うと思うのですが……。ほかに部長に何か小さな物、兄貴や一雅君、おじさんにはネクタイでいいかな。いろいろ考えあぐねていることろです。
桂子には大きな人形(目の動くもの)を買うつもりですが、どこで買うべきかまよっております。
ソ連にも大きいのがあります。しかし、後が長いので持ち運ぶのが大変だし、そうかと言って目の動くのがほかの国にあるかどうか。
少々ガマンしてここで買いましょうか?
桂子が喜ぶのなら、少しの苦労も嬉しいものです。
それではまた。

禮子へ

勝敏

いつ見てもかわいく、一日も早く帰りたい気持ちです

1971年8月28日付
禮子夫人へあてた手紙より

前略
チェコへの手紙ありがとう。桂子ちゃんが男の子のような写真もありましたね。いつ見てもかわいく、一日も早く帰りたい気持ちです。
手紙によると、旅行に行ったそうですが、どうでしたか。手紙では桂子を一緒につれていったかどうかわかりませんが。
今までは東京へ来るものと思って期待しておりました。しかし、手紙では思案中とか。この手紙が着くころには決めていることと思いますが。
もし、まだでしたら来なくてもいい。私は一日も早く会いたいと思っておりましたが、一日だけガマンすることにしました。もし、来ることに決めて、切符を手配していれば別。13日に本社へ行って、昼過ぎの汽車で帰ります。広島には夜着くでしょう。
チェコでは1勝1敗に終わりました。この手紙はチェコで書いていますが、チェコでは1週間くらいかかりそうですので、明日フィンランドへ移動しますし、そちらから出します。
相変わらず元気。少し肥えたようです。顔の方が丸くなって来ました。しかし、腹は酒を飲まないし、大きくはありません。
写真を見ますと、何となく桂子も大きくなったような気がいたします。
体もそうですが、顔が2歳になったことを証明しているようです。
広島はまだまだ暑いと思いますが、体に十分気をつけてください。
前の手紙で書いたかもしれませんが、いつも風邪ぎみ(蓄膿ぎみ)もなおり、何となくすっきりした気分です。
あと、広島へ帰るまで12日。この手紙が着くと一週間 ぐらいかと思いますが、ガマンして待っていてください。
その後のスケジュールは10月にチェコが来たり、全日本総合大会があったりで、時々家をあけることもあるでしょうが、来年の3月までは広島にいることが多いと思います。
東京へはオリンピックの時??? にまた来てください。その時には、今までその気でいましたから東京へ着き次第、電話します。
12時10分東京(羽田)着。専売会館へは2~3時ごろ着くでしょう。
もし、来ないのなら、専売会館のママさんにその事を電話してください。ママさんはその気で強羅の方に申し込んでいるかもしれませんので。

禮子へ

勝敏

自分で不思議なくらい体にやる気が満ち、今にもあふれんばかりです

1972年8月25日付
「ミュンヘンオリンピック」開催の前日に禮子夫人にあてた手紙より

前略 大会も近づき、明日は開会式です。
調子も上がってきております。私も久しぶりに体全体に緊張感がみなぎってきました。その分だけ、素晴らしいトスが上がるわけです。出発前には私はベンチ、嶋岡がスタートということでした。私自身は私でなければと思う気持ちがありました。ここ2、3日の練習では、以前の私と同じ、それ以上とすら思えるほどです。松平さんらもやはり私でなければと思う心が強まったようで、28日第1戦は完全に私にまかせてくれました。自分で不思議なくらい体にやる気が満ち、今にもあふれんばかりです。この気持ちを持ちつづけ、9月8日の決勝に持ち込みます。他の選手、大古や横田、森田らも私を待っていたような感すらあり、私のやる気が乗りうつったみたいに調子を上げてきました。この分だと私の思うまま、ゲーム運びができ、必ず勝利をおさめる自信もあります。
ケガに十分注意して、頑張ります。
お守りは忘れず体につけておりますので安心ください。
もう産休に入ってのんびり暮らしていることと思います。桂子も手がかからず喜ばしいばかりですが、まだまだ子ども。道路の方では遊ばせないように。
ハガキもほとんど出し終わりました。
買い物もあらかた済ませました。
雑用は早めにすませ、試合に全力を出します。
7試合勝てば金(メダル)が取れるわけです。
1点を大切に頑張ります。
テレビ放送もあるでしょう。応援して下さい。
皆様によろしく。

禮子へ

勝敏

少し早いけど たんじょうびおめでとう

1978年8月1日付
長女桂子さん(当時8歳)へあてた手紙より

猫田桂子さんへ
お父さんは 今 ポーランドという国に来ています 日本よりすずしくて きもちのよいきせつです 夏休み中ですが べんきょうしていますか 午前中はあそばないで べんきょうしなさいね ひるからはあそべる時間があるでしょう お父さんは8月21日に帰ります それまでお母さんをこまらせないように お母さんの言うことをよくきいてくださいね ゆうこちゃんやただあき君をかわいがってください 桂子ちゃんのたんじょうびにはお父さんはいません 少し早いけど たんじょうびおめでとう 9才ですね がんばってください

お父さんより

おかあさんのおてつだいもしましょう

1978年8月1日付
次女優子さん(当時6歳)へあてた手紙より

ねこだゆうこちゃんへ
なつやすみですね あさはやくおきてラジオたいそうへいっていますか おねえさんがべんきょうしているとき じゃまをしないように ゆうこちゃんも ほんをよんだり えをかいたりしましょうね そしてあそんだあとは あとかたづけをわすれないようにしましょう おかあさんがあとかたづけをしていたら おかあさんはおしごとでつかれているので びょうきになってしまいますよ おかあさんのおてつだいもしましょう ただあきくんにもやさしくしてやりましょう

お父さんより

たくさんごはんをたべましょう

1978年8月1日付
長男忠明くん(当時2歳)へあてた手紙より

ねこだただあきくんへ
ようちえんはたのしいですか
ともだちはできましたか
ただあきくんはたんじょう日がくると3才ですね おにいちゃんになるのだから おかあさんのいうことをよくききましょう おねえちゃんたちとけんかをしないように なかよくあそびましょうね よるもはやくねるようにしないと あさはやくおきれませんよ かぜをひかないように たくさんごはんをたべましょう

お父さんより

禮子も元気で、子どもにも心配がない。これが私の宝です

1978年8月1日付
禮子夫人にあてた手紙より

ポーランドに無事到着しました。チェコでは4日で3試合。しかも、朝4時に起きて移動するなど、大変でした。手紙を書く時間もないぐらいでした。しかし、会社の姉さんたちには書いたので先に着いていることと思います。
試合は1勝2敗。21日から出発まで準備でいそがしく練習量も少なかったので、チームプレーが思うようにいかず苦労しましたが、だんだんよくなってきました。
ポーランドも強敵ですが何とかいけそうです。体調もよく季節も一番よい時です。
日本は暑いでしょう。子どもは夏休みで遊ぶことにばかり気をとられているのではないかと思います。午前中勉強しておけば、外で遊んで元気になるのならよいのですが。
暑い中で仕事も大変でしょうが、体が一番大切です。疲れたようなら休んでもよいし十分気をつけてください。
禮子も元気で、子どもにも心配がない。これが私の宝です。家庭に不安があるとバレーどころではありません。その点感謝しております。安心してバレーをやっています。留守が多くて寂しいと思いますが、苦しい後には楽しみがあるはずです。21日に帰った後のスケジュールは考えてください。残念ながらゆっくりはできないと思いますが、計画はまかせます。
桂子の誕生日はいませんが、忠明の誕生日にはいますので一緒にしましょう。

禮子へ

勝敏

これが最後の全日本の選手生活となるでしょうし、頑張ります

1979年12月11日付
禮子夫人にあてた手紙より

9日、全員元気でバーレンに入りました。こちらの気候も思った程、暑くなく快適です。16日から大会が始まります。
中国、韓国もバーレンに入りました。大会に出場の選手は全員同じホテルです。中国、韓国の選手の顔を見れば、自然にきんちょうしてきます。練習にも一段と熱が入ってきました。今のところ、故障者もなく、順調に仕上がっています。
日本は寒くなりましたか。出発する前は12月とは思えない程でしたが、忠明は風邪をひいていませんか。この手紙が着くころには冬休みに入っているかもしれませんね。桂子はラボでどこかへ行く話もあったようですが。
とにかく、みんな風邪をひかないように元気でいてください。お父さんも元気で体重も2~3キロ落としました。絶好調です。
中国、韓国に勝って、モスクワ行きのキップを手にして、若い選手に引き継ぎたいと思っています。これが最後の全日本の選手生活となるでしょうし、頑張ります。

禮子へ

勝敏

JTサンダーズ