チームの雰囲気や組織力を何より大事にしたい

“楽しく”より“本格的に”

私がバレーボールを始めたのは、小学校4年生の時からです。
幼稚園の頃から習っていたテニスを辞めたタイミングで、母が通っていたママさんバレーについて行ったのがきっかけです。その後地域のクラブチームに入りました。

クラブチームは小学生20~30人くらいが所属していました。
練習は週に5日で平日17時~19時の2時間でしたが、本格的にバレーボールをやりたかった自分には少し物足りなく感じることもありました。
小学生の頃から身長が高い方だったので、早い段階でスパイカーとしてコートに入ってプレーすることも多く自宅でも自主的にスパイク練習をしていたので、すぐに上達しました。

毎週末、他チームとの練習試合が行われていたこともあり、県大会でも2位という結果を残すことができました。
小学6年生の時にはチームの中に身長がある程度高くてスパイクが打てるメンバーが6人揃っていましたが、公式試合で強豪チームとの対戦を経験したことで、普段からラリーが続くような強い相手と練習をしていかないと試合には勝ち上がっていけないと強く感じました。

ライバルを定めてノルマを課す

小学4年生の時から共栄学園中学高等学校(東京都葛飾区)とつながりのあるクラブチームが集まる共栄杯という大会が毎年開催されていました。その大会がきっかけで共栄学園に入学した先輩もいましたし、当時から共栄学園の先生に教えていただきたいと憧れを抱くようになりました。
小学6年生になり、進路に悩んでいたところに憧れの共栄学園から推薦をいただき、特待生で入学することになりました。

共栄学園は東京都内の強豪クラブチームから優秀な選手が集まってくる少数精鋭チームだったので、一人ひとりが基礎もしっかりしていて体力もあり、最初はプレースキルの高さについていくことができませんでした。
練習内容も小学校の時とは比較にならないほど本格的になりました。
レシーブではミスをしてボールを落とすと拾えるまで練習をしましたし、できないことはできるまで練習するという方針でした。小学校では毎日の練習が楽しいと思っていたのに、中学校では「毎日がつらい、地獄だ」と感じてしまうようになりました。
何度も辞めたいと思いましたが、チーム競技なのでみんなを裏切ることはできないし、家族にも迷惑をかけたくないという想いの方が強く、仲間同士でつらい気持ちを共有しながらなんとか頑張りました(笑)。
また、毎日の基礎練習やラリー練習では、自分の中でライバルを決めて、“今日はその人よりも強いスパイクを何本決める”というノルマを作ることでモチベーションを上げていました。

中学3年生の時、全国大会で準優勝という結果を残すことができましたが、実は決勝で対戦した金蘭会中学校(大阪府大阪市)に西崎愛菜選手がいたんです。その時の西崎選手はリベロではなく、セッターで出場していたのですが、相手スパイカーの印象が強く、西崎選手が相手チームにいたことは後になって知ってすごく驚きました。
試合の最初はペースを掴めていたのですが、金蘭会は基礎がしっかりしていて安定した強さがあり、その後挽回されてしまい、敗北してしまいました。
共栄が11点連続で得点した後に、金蘭会が11点連続得点するような試合内容だったので、今でも西崎選手とは「あの試合はわけがわからなかったよね~」とよく話しています(笑)。

“マジカルバレー”と呼ばれるプレースタイル

中高一貫だったため高校は共栄学園高校に進学しましたが、環境もプレースタイルも中学校とは全く違って驚きました。
中学校では、オープントスが上がるような基礎に忠実なプレースタイルでしたが、高校では相手が予測できないような攻撃を次々に繰り出す“マジカルバレー”と呼ばれるプレースタイルが特徴でした。
ミドルブロッカーがアウトサイドヒッターのような動きをしたり、相手のブロッカーがいない場所に移動してスパイクを打つ攻撃をしたり、高校女子バレーではあまり使われないバックアタックなども攻撃に取り入れていました。

練習時間も中学校の部活に比べて長くなりました。
朝は毎日4時半に起床し、始発電車に乗って7時~8時までハードな練習があって、朝早く起きて登校するのも、まだ眠っている体を無理やり起こして練習するのもとても大変でした。
それでも、週に1回はオフもあったので西崎選手の通っていた金蘭会よりは楽だったのかもしれませんね(笑)。

コート上では“自分が一番強い”

高校1年生の時にアジアユースのU17に選ばれましたが、その時は本当に自信がありませんでした。自分よりも身長が高く技術が高い選手が30人いる中で、最終メンバーの12人に残ることができたことは、嬉しい気持ちよりも驚きの気持ちの方が大きかったです。
メンバーとは初対面だったこともありますし、性格的にも個性の強いタイプの選手が多かったせいか、接し方にはすごく悩みました。自分のチームメイトであればある程度言うと汲み取ってくれますが、ここでは言いたいことを全部はっきり言うと引かれてしまうのではないかと思って、あまり言いたいことが伝えられませんでした。今となってはそれが良くなかったなと反省しています。

この時、初めて海外の選手のプレーを目の当たりにしましたが、公式練習から全員がすごいスパイクを打ってくるので、最初は圧倒されたところがありました。
ただ、試合を重ねるうちに、相手の合っていない部分を突いたり、高いブロックはその高さを的にしてブロックアウトを狙ったりするなどの対策もできるようになりました。
また、同時に日本人選手のブロックは高さがなくても手が前にしっかり出ているので、海外の選手のブロックに比べて精度が高いことが認識できました。
この大会ではスターティングメンバーではなく途中交代で出場しましたが、最初にベンチから相手チームを冷静に分析できたことがコート内での活躍につながったのだと思います。
スターティングメンバーに入ることができずに悔しい気持ちもありましたが、スターティングメンバーじゃないという事実で自分のプレーに自信をなくしてしまいそうだったのでコートに入った時は“自分が一番強いんだ”という気持ちを持って臨んでいました。
結果的にも優勝することができて、ベストオポジット賞もいただき、チームに貢献できたのは嬉しかったですね。

悔しさをバネに、練習を重ねる日々

高校2年生の時には、共栄の“ポジションに捕らわれないプレースタイル”を活かし、ミドルブロッカーとアウトサイドヒッターのどちらのポジションもできることが買われて、イタリアで開催されたコルナッキアワールドカップ2019のU18日本代表に選ばれました。
本当はアウトサイドヒッター1本でやりたかったのですが、ミドルブロッカーとの二足の草鞋で挑みました。どちらのクオリティも上げる必要がある分、他の選手よりも成長のスピードが遅くなってしまい、最終的にイタリアの時はずっとベンチメンバーになってしまいました。
監督から「アウトサイドヒッターなら強いスパイク力、ミドルブロッカーなら高いブロック力、そういう自分の一番強い個性を持っている人がスターティングメンバーに選ばれているんだよ」と言われてしまいました。その時までは二つのポジションをどちらもやれることが自分の強みだと思っていたので、完全に覆されましたね。この後からコートの中に入るために一つのポジションに絞りたいと強く思うようになりました。

残念ながら自分は試合には出してもらえずに悔しい思いをしました。練習でも監督にアピールしましたし、決勝でも「準備しておけ」と言われていたにも関わらず出場できませんでした。しかしその悔しさをバネにして、完全に日本がアウェイの会場でコートの外から力の限り応援しました。すると会場内でも日本を応援する声が徐々に増えて、いつの間にかホームのような雰囲気になったこともあり、結果的に優勝することができました。
この時はコートの外で優勝を見守るという苦い経験をしたので、次はコートの中で喜びたかったですし、まず12人に選ばれるために、次の招集がかかるまでとにかく練習を重ねました。
現状の自分に満足しないよう、練習がオフの日も一人で体育館に行って練習していましたね。
その後も1~2カ月に1回は招集がかかりましたが、練習を重ねた自分に自信を持つことができるようになったのは、大きな収穫でした。

コミュニケーションの大切さ

高校3年生の時には主将も経験しました。同級生にも後輩にも言葉で伝えるのは苦手だったので、その分行動やプレーで引っ張っていきました。周りのみんなも理解してサポートしてくれましたね。

最後の第73回全日本高等学校選手権大会(春高バレー)では、誠信高校(愛知県)と対戦し、敗北してしまいました。
誠信高校との練習試合では一度も負けたことがなかったのですが、気持ちに隙ができてしまったところで足元をすくわれてしまいました。
この頃は選手とスタッフの間で意見がかみ合っていませんでした。
選手はスタッフに対して気持ちをうまく伝えられず、コーチともうまくコミュニケーションが取れていない状態で春高がスタートしてしまいました。
今思うと、スタッフやコーチにいくら怒られたとしても、もっと自分の考えを伝えるべきだったと反省しています。

意見が言い合える関係

高校2年生で進路について考えた時、元V.LEAGUEアナリストの顧問の先生や実業団のバレーボール選手だった母から吉原監督のすごさを聞いていたので、吉原監督から教わりたいという気持ちが強かったため、JTマーヴェラスへの入部を決めました。
ちなみに母は私にバレーボールを本当はやらせたくなかったようですが、V.LEAGUEに入ったことで、自分が成し遂げられなかった夢を引き継いでくれてありがたいと言ってくれました。

JTマーヴェラスに入る前から試合の動画を見ていましたが、得点が入るとベンチメンバー全員、自分が決めたかのように喜んでいて全員で戦っている雰囲気がとてもいいなと思っていました。
今まで人間関係がギスギスすることが多かったので、JTマーヴェラスでも同じようなことにならないか心配していました。しかし、吉原監督が「コートの中であったことをコートの外に持ってこないように!」と言って選手を守ってくれているおかげで、とてもいい関係でバレーボールができています。
また、今までうまく伝えられなかった自分の意見も、一年目は我慢しないといけないのかなと思っていましたが、年齢や入部歴に関係なくいろいろな視点からの意見が欲しいと言ってもらえるので、意見を伝えやすい環境をつくってくださっています。

同期の西崎選手とはよく話しますね。二人で一緒にいることはそこまで多くないのですが、実はLINEでよく話しています(笑)。
高橋茉莉奈選手は大卒なので少し歳が離れていますが、話しかけてくれることも多いですし、プレー面でもお互いに相談し合える仲です。

練習面では、高校3年間で身体に染みついた“マジカルバレー”の動きを基礎的な動きに戻すのが大変でした。
また、バレーボールとの向き合い方にも変化がありましたね。
今までは学校の部活だったので、課題や宿題に追われてバレーボールも勉強もどちらも頑張らないといけませんでしたが、今はバレーボールのことだけに集中し、他のことを考えなくて済むようになりました。正直、バレーボールに集中したい時に明日のテストのことも考えなくてはいけないのはなかなかつらかったです(笑)。

今後はスターティングメンバーでも途中交代でも、“この人に任せれば必ず決めてくれる”とみんなから安心してもらえる選手を目指していきたいです。
そしてチームの雰囲気や組織力を大事にできる人に成長していきたいですね。

  • 本記事は2021年12月時点のインタビューに基づいたものです。