どんな立場からでもチームに貢献するのが第一優先

「全国大会出場」という親友との約束

バレーボールを始めたのは、6歳の時に4つ上の姉が通っていたバレーボールチームに連れていってもらったことがきっかけです。母はママさんバレーをしていたので、バレーボールをするのは必然だったような気がします(笑)。
チームではボール拾いを積極的にしていたのですが、ある日、大会の公式練習に出ることになり、初めて打ったサーブがきれいにコート内に入ったことでバレーボールの楽しさに気づいて、小学2年生から本格的に始めました。
3年生になってからは一気に練習が厳しくなり、100本のサーブを17分以内に終わらせるという練習が毎日ありました。17分を超えてしまうと18メートルの距離をアザラシ歩きするというペナルティがあったので、とにかく時間内に終わるようにボールを自分の近くに置いて必死にサーブを打ってました。

そんな厳しい練習のおかげか、6年生の時に初めて全国大会に出場することができました。観客がたくさんいる中で試合をするのは初めての経験で、1試合目はすごく手が震えてふわふわとした感覚で落ち着きませんでしたが、2試合目からは徐々に慣れてきて緊張を感じながらも楽しくプレーしていました。
結果としては決勝で負けて2位で幕を閉じましたが、2年生の時に親友と3人で「全国大会出場を目指して頑張ろう!」と約束してから、ずっと一緒にバレーボールに取り組んできたので、夢が叶ったのは本当にうれしかったです。

練習が厳しくて、「やめたい」と思うこともありましたが、いつも応援してくれている母に恩返しをしたいという気持ちが強くあって、これまで続けてきたことで全国大会に出場することができました。本当にバレーボールを続けて良かったと思ってます。

性格を変えてでもチームを引っ張っていこう

中学校は金蘭会中学校(大阪府大阪市)に入学しました。入学のきっかけをくれたのは、小学校の時に対戦相手だった比叡平(滋賀県大津市)というチームの監督で、その監督が金蘭会の監督に私を推薦してくれました。
金蘭会はレシーブで粘るバレースタイルで試合を見ていて面白いなと感じたので、自分もこの学校でバレーボールをしたいと思って、入学を決意しました。
バレーボールを中学校でも続けるかをすごく悩んでいたので、今の自分があるのはこの時の推薦があったからだと思います。

もともとは愛知に住んでいたので大阪に引っ越して、中学1年生で初めての寮生活がスタートしました。寮内では同級生は一人だけで、他は全員高校生と年上だったのですごく心細かったです。寮生活になかなか馴染むことができず、最初のうちはよく母に電話で悩み相談をしてました。

セッターとして入部しましたが、2年生の時に監督からリベロを勧められて、そこからはリベロとしてコートに立つことになりました。もともとレシーブが好きだったこともあり、いろいろな角度からのボールを率先して拾えるのはすごく楽しかったです。
リベロで試合に出場するようになってからは今まで以上にチームに貢献することができて、2~3年生の時に全国大会で優勝することができました。優勝できたのは、年上も年下も関係なく選手全員の仲が良くて、バレーボールのことだけではなく私生活のことも何でも話し合えるほど距離の近いチームだったからだと思います。

3年生の時に主将に選ばれましたが、私はおとなしい性格でみんなをグイグイ引っ張っていくタイプではなかったので、すごく悩みましたね。主将を任されたのだから自分がやるしかないと腹をくくり、性格を変えてでもチームを引っ張っていこうという気持ちで必死に取り組みました。怒られて落ち込んでいる子がいたら慰めてフォローをして、厳しいことを言わないといけない状況ではしっかりと本音を伝えるようにもしていました。中学生だったのでやんちゃな子もいて、その子たちをフォローするのも主将として大切な仕事でした。
世の中の「主将」はそういう役回りなんでしょうか(笑)。

真っ先に浮かんだ母の顔

金蘭会は中高一貫なので、高校はそのまま金蘭会高等学校(大阪府大阪市)へ進学しました。
中学までは言われてから動くことが多かったのですが、高校からは周りの選手たちに動いてもらうために、自分から動いて見本にならないといけないという意識に変わりました。
意識を変えて取り組んだこともあり、1年生の時に春高バレーに出場することができました。ピンチサーバーとしての出場でしたが、センターコートに立った時は緊張をあまり感じずにリラックスして役割を果たすことができて、自身として初めての春高バレーで優勝することができました。

2年生の時も春高バレーに出場できましたが準決勝で東九州龍谷高校(大分県中津市)に敗れて連覇を逃して、悔しい思いをしたので次の春高バレーでは優勝をしたいと思いました。
しかし、2年生の春高バレーが終わってから数カ月したところで新型コロナウイルスが流行ってしまい、自粛期間に入ってから学校で練習ができない状況になってしまいました。
春高バレーが開催されるのかわからない状況でしたが、コロナが明けた時に少しでも成長していたいと思い、期間中も密にならない環境でトレーニングをして身体を鍛えていました。
ほとんどの試合が中止となっていく中で、春高バレーは無観客で開催されることが決まり、すごくうれしかったのを今でも覚えています。

優勝を狙っての出場でしたが、試合は準々決勝の就実高等学校(岡山県岡山市)に負けてしまいました。相手にリードを奪われた終盤、どうにかしないといけないとコートの中で考えていた時に、ふと頭の中に母の顔が浮かび、自分自身のためではなく、いつも優しく見守ってくれている母親のためにがんばろうと必死にボールを拾った記憶がありますね。

国際大会で見えた自身の弱み

コロナが流行る前の2019年には第12回アジアユース女子選手権大会(U-17)とコルナッキアワールドカップ2019、第16回女子U18(ユース)世界選手権大会と多くの国際大会に参加させていただきました。国際大会は普段では学ぶことができない経験も多く、得たものがたくさんありました。

日本人選手のスパイクを受ける場合、レシーブの時に腕の面を作るだけで返すことができるのですが、外国人選手のスパイクはパワーもスピードもレベルが高く、今までの方法でレシーブをするとラインの外まではじき出されて失点につながってしまいました。
パワーもスピードもあるボールを返せないままでは、今後の試合でも負けが続いてしまうと考えて、切り返しの動きやボールを追った後にベストな位置に戻るスピードを上げるトレーニングを練習メニューに毎日取り入れるようにしました。
レセプション練習ではサーブも高い位置から打たれることが多いので、台の上から角度を付けたサーブを打ってもらって、実際のシチュエーションに近い環境での練習を意識してはじめました。

外国人選手と試合をしたことで今までにはなかった広い視野で、リベロとしての必要な考え方やコート内での動きを見つめ直す良い機会になったと感じています。

決め手は団結力の強さと雰囲気の良さ

JTマーヴェラスの試合が兵庫県内で開催される時は、友だちと一緒に試合会場まで応援しに行ってました。JTマーヴェラスはどのチームよりも選手・スタッフ全員の団結力が強くて、どのチームよりも雰囲気が良いのを感じていました。
JTマーヴェラスに入ってバレーボールを続けられたら良いなと考えていた中で、タイミングよく声をかけていただいたのが入部を決めたきっかけです。
大学に進学してバレーボールを続ける道もありましたが、日ごろから応援してくれる母への負担を少しでも減らしてあげたいという想いもあり、高校を卒業してVリーグ選手の道を選びました。

JTマーヴェラスは今までお付き合いのあった人が多く、西川有喜選手と林琴奈選手は金蘭会高校の先輩、榊原菜那選手と和田由紀子選手、同期の小山愛実選手とは国際大会で一緒だったので安心してすぐにチームに馴染めました。他の先輩たちも年齢に関係なく、気さくに話しかけてくれて親身になって適切なアドバイスをくれる優しい方ばかりだなと感じてます。
チーム全員がコミュニケーションを大事にしていて、入部前に感じていた雰囲気の良さや仲の良さはコミュニケーション量の多さなんだなと思いました。

リベロの先輩、小幡真子選手や深萱知代選手とお話しをすることもあって、アドバイスを頂けるのは本当にうれしいですね。マコさんはプレーの時だけでなく、「元気~?」とラフな感じで声を掛けてくれるので、すごく感謝しています。
私は人見知りをするタイプですが、みんなが声を掛けあっていて話しやすい雰囲気が常にあるチームなので、人見知りながらも今後はもっといろいろな人に自分から話しかけていきたいなと思ってます。

開幕戦、セッターでの試合出場経験

2021-22 V.LEAGUEのトヨタ車体クインシーズさんとの開幕戦で、監督から「セッターを任せるかもしれないから、ちょっと身体を温めておいて」と言われましたが、まさかここにきてセッターで出場するとは夢にも思わず、すごくびっくりしました。
開幕戦でのセッター出場ということで試合中は緊張を通り越して、やるしかないと冷静になっていたかもしれません。
セッターとして開幕戦の試合を経験したことで、それまであまり深く話す機会がなかったミドルブロッカーの選手たちやアウトサイドヒッターやオポジットの選手たちともコミュニケーションを取る機会が増えたので、あの時にセッターとして出場して良かったと思ってます。

私がバレーボール選手としては目指す姿は、どんな位置にボールが飛んできてもしっかりと拾える選手、どんな立場・ポジションでもチーム貢献ができて、「西崎に任せれば大丈夫!」と信用してもらえるような存在です。
しっかりと拾うのに必要なことは相手をよく見ることだと思っていて、チームメンバーでも対戦相手でもよく見ることが大切だなと考えています。

入部してすぐで、まだまだ成長をしなければいけないことだらけですが、ファンの皆さんに応援してもらえるように頑張りたいと思います。

  • 本記事は2021年12月時点のインタビューに基づいたものです。