A History of Tobacco たばこの歴史
ヨーロッパと「たばこ」の関わり フランスと「たばこ」
王室を通して「たばこ」が普及したフランスには、「たばこ」の文化を生み出した
人々が存在しました。この章では、華やかなる宮廷社会で、貴族たちに
愛された「たばこ」と、喫煙アイテムの変遷について解説します。
「たばこ」の歴史に名を残したフランス人
  植物としての“タバコ”の属名である“ニコチアナ(Nicotiana)”や、成分名である“ニコチン(Nicotine)”は、フランスに初めて「たばこ」を伝えたとされる人物=ジャン・ニコの名が語源となっています。

  16世紀の中ごろ、当時のフランス国王・アンリ2世の命により、駐ポルトガル大使として同地に赴任していた彼は、王立公文書館長から薬草といわれていた“タバコ”をもらい受け、フランスの貴族に贈りました。
  それをメディシス王妃が頭痛薬として用い、さらには廷臣たちに分け与えたため、フランスに「たばこ」が広まることとなったとされています。
photo01 ジャン・ニコの肖像とともに、
「たばこ」の葉と花が描かれた切手。
「フランスへのタバコ導入4世紀記念切手」
(1961年/フランス発行)
嗅ぎたばこが生み出したフランスの宮廷文化
  ニコが王室に「たばこ」を献上したとされてから約20年後のルイ13世の時代には、フランスの宮廷では「パイプたばこ」が流行していました。ところが、ルイ13世が“たばこの煙を鼻から出すのは下品”として、宮廷で「たばこ」の煙を出すことを禁じます。焦った貴族たちは一計を案じ、粉にした「たばこ」を指でつまんで鼻腔から吸い込み、香りなどを楽しむ「嗅ぎたばこ(=スナッフ)」を宮廷に持ち込みます。

  やがて、この「嗅ぎたばこ」は貴族の間で大流行となり、彼らは金銀や象牙、磁器ほか貴重な素材に宝飾などを施した高価な「嗅ぎたばこ入れ(=スナッフボックス)」を競って所持するようになります。
  こうして宮廷では、「たばこ」とともに美術工芸品の粋に達した喫煙具までが普及し、新たな文化を創造していくことになるのです。
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嗅ぎたばこを嗜むさまざまな人々の情景を描いた絵画。
「バラエティーに富んだ嗅ぎたばこ」(19世紀)
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「金製エナメル仕上げ人物図嗅ぎたばこ入れ」
(1760年代頃/フランス)
「金製真珠貝に貴石象嵌嗅ぎたばこ入れ」
(1740年代頃/フランス)
“自由”を象徴した「パイプたばこ」
  貴族からの人気を得て“宮廷のたばこ”とのお墨付きを得た「嗅ぎたばこ」は、次にフランス庶民の心をとらえ、やがてはフランスの宮廷文化を“先生”とあがめるヨーロッパ諸国にまで飛び火します。
  この状況を変えたのが、1789年のフランス革命です。当時、ヨーロッパでは“嗅ぎたばこは王権のシンボル”であり、“パイプたばこは王権に背く者のらく印”といわれていました。ところが、王権を打ち破り庶民を圧制から救ったのは、「パイプたばこ」の煙を吹かす、反体制派の人々でした。

  これにより、「パイプたばこ」は革命のシンボルとなり、「嗅ぎたばこ」は王権とともにすたれていったのです。
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革命の前夜には、たばこ市場の9割が「嗅ぎたばこ」で占められていた。
スペインの「たばこ」を世界に広めたナポレオン
  フランスで庶民が自由を勝ち取ると、ヨーロッパ諸国は革命が自国に飛び火することを恐れ、フランスへと兵を進めました。しかし、フランスはこれを次々に撃退し、逆にヨーロッパ諸国へ攻め入ります。この進軍の指揮を執っていたのが、フランスの英雄・ナポレオンです。
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ナポレオンが併合したヨーロッパの地方都市では、フランス主導で「葉巻」の製造が行われた。
  元々「たばこ」が好きだったナポレオンは、スペインを支配下に置くこととなった1808〜1814年のスペイン独立戦争で「葉巻」と出会います。パイプに「たばこ」を詰めるという面倒な作業なしで、簡単に喫煙可能な「葉巻」に魅了された彼は、以後、煙をたなびかせながら、ヨーロッパの大国を次々と打ち破っていきました。

  こうして、一部の国では“スペインたばこ”として知られていたローカルなたばこの「葉巻」が、「シガレット(=紙巻たばこ)」よりもひと足早くヨーロッパ中へ広まることとなったのです。