其の十一 たばこをバ達者にくらう百桟敷(ひゃくさじき)

イラスト
たばこの川柳
百 桟敷とは、江戸時代の芝居小屋で料金の安い桟敷席のことである。高級な席には茶屋から酒や料理が届くが、こういう大衆席には、せいぜいたばこ盆が置かれているくらい。観客は芝居が面白ければ、舞台に見とれているが、筋の展開がだれて来た時や幕間などには、手持ち無沙汰で、なんとなく口元がさみしくなる。そんな時、高級席の客は酒や料理に手を伸ばす。大衆席の客には、それが何とも羨ましい限り。そんな気持ちを鎮めるかのように、たばこをスパスパやる者がいる。

他人が吸えば、つられて吸いたくなるのが、愛煙家の人情である。キセルに刻みたばこを詰めて吸っては灰を叩き、また詰めて吸っては叩く……。満たされぬ食欲を紛らすためか、妬ましい気持ちを抑えるためか、愛煙家のそんな仕種が、傍目には、いかにも達者にたばこを食らう健啖家(けんたんか)のように見えて、何とも面白い、とこの句の作者は言いたげである。

今日の劇場や映画館では、上演・上映中にたばこを吸うことはできない。幕間や休憩時に灰皿のあるロビーに出て吸うのがマナーである。しかし、江戸時代には芝居の最中であっても、客はたばこを吸うことができた。上演中に喫煙する観客が多いということは、舞台の演技に魅力が不足していることの表れでもある。とすると、この句の作者が一番言いたかったのは、芝居がつまらないから、それごらん、百桟敷のお客があんなにたばこばかり吹かしているじゃありませんか、ということであったかもしれない。

ともあれ、たばこを一服することで、口さみしさを紛らわしたり、満たされない思いやいら立ちを一時鎮めたりできる。喫煙にはそんな効用があることを、あらためて思い起こさせてくれる一句である。
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