LEGEND
広島サンダーズのレジェンド
家族への手紙2
「金メダルよりも大切」な手紙
世界を舞台に戦ってきた猫田は、広島から遠く離れた日本や世界の各地から、妻や子供へ多くの手紙を送っている。
「金メダルよりも大切」と禮子夫人が語るように、バレーボールのこと、家族のこと、さまざまな思いが綴られている手紙は、家族との温かな絆の証なのだ――。
桂子が喜ぶのなら、少しの苦労も嬉しいものです
1969年8月28日付
禮子夫人へあてた手紙より
前略。
早いものでもう9月に入りますね。遠征の三分の一を過ぎました。ソ連での試合は今2勝。今日、ソ連と対戦します。今日勝てば優勝できるでしょう。
昨日はポーランドと対戦。1セット目を落としましたが、後を日本のペースで取りました。1セットぐらい落としても落ち着いているのは銀(メダル)の自信かもしれません。
2試合ではトスに少しさえが見えませんでした。しかし、今日は神経をピリリとしめてかかりますのできっといいトスが上がるでしょう。
私のほうは以上のような調子です。が、育児の方はいかがですか?
少しは母親らしい仕事ぶりになりましたか? 失礼。
大きくなって抱いていられないのではないかと心配です。この手紙が着くころには1カ月になりますね。
出生届やそのほかの手続きは終わりましたか? いろいろあって大変でしょう。病院にも時々行っているでしょうが、育児の方法、勉強するように……。産休の方はうまくやってください。早いものでもうすぐ1カ月ですから、産後にまわしてもらってください。しかし、体の調子さえよくなったら会社に出た方がいいかもしれませんね。 いつまでも休んでいたら、今度出勤するのに嫌になるかもしれません。
広島の方はまだまだ暑いことでしょう。あせもができているかもしれませんね。これから冬に向かうわけで、着る物も買ってやらなければなりませんね。
スウェーデンに帽子があったのですが、着る物は日本の方がいいと思って買いませんでした。
高村部長、小畑部長らのお土産は何にするか今こまっております。奥様にこはくのネックレスを考えておりますが、こはくのネックレスはある程度年のいった人の方が似合うと思うのですが……。ほかに部長に何か小さな物、兄貴や一雅君、おじさんにはネクタイでいいかな。いろいろ考えあぐねていることろです。
桂子には大きな人形(目の動くもの)を買うつもりですが、どこで買うべきかまよっております。
ソ連にも大きいのがあります。しかし、後が長いので持ち運ぶのが大変だし、そうかと言って目の動くのがほかの国にあるかどうか。
少々ガマンしてここで買いましょうか?
桂子が喜ぶのなら、少しの苦労も嬉しいものです。
それではまた。
禮子へ
勝敏
いつ見てもかわいく、一日も早く帰りたい気持ちです
1971年8月28日付
禮子夫人へあてた手紙より
前略
チェコへの手紙ありがとう。桂子ちゃんが男の子のような写真もありましたね。いつ見てもかわいく、一日も早く帰りたい気持ちです。
手紙によると、旅行に行ったそうですが、どうでしたか。手紙では桂子を一緒につれていったかどうかわかりませんが。
今までは東京へ来るものと思って期待しておりました。しかし、手紙では思案中とか。この手紙が着くころには決めていることと思いますが。
もし、まだでしたら来なくてもいい。私は一日も早く会いたいと思っておりましたが、一日だけガマンすることにしました。もし、来ることに決めて、切符を手配していれば別。13日に本社へ行って、昼過ぎの汽車で帰ります。広島には夜着くでしょう。
チェコでは1勝1敗に終わりました。この手紙はチェコで書いていますが、チェコでは1週間くらいかかりそうですので、明日フィンランドへ移動しますし、そちらから出します。
相変わらず元気。少し肥えたようです。顔の方が丸くなって来ました。しかし、腹は酒を飲まないし、大きくはありません。
写真を見ますと、何となく桂子も大きくなったような気がいたします。
体もそうですが、顔が2歳になったことを証明しているようです。
広島はまだまだ暑いと思いますが、体に十分気をつけてください。
前の手紙で書いたかもしれませんが、いつも風邪ぎみ(蓄膿ぎみ)もなおり、何となくすっきりした気分です。
あと、広島へ帰るまで12日。この手紙が着くと一週間 ぐらいかと思いますが、ガマンして待っていてください。
その後のスケジュールは10月にチェコが来たり、全日本総合大会があったりで、時々家をあけることもあるでしょうが、来年の3月までは広島にいることが多いと思います。
東京へはオリンピックの時??? にまた来てください。その時には、今までその気でいましたから東京へ着き次第、電話します。
12時10分東京(羽田)着。専売会館へは2~3時ごろ着くでしょう。
もし、来ないのなら、専売会館のママさんにその事を電話してください。ママさんはその気で強羅の方に申し込んでいるかもしれませんので。
禮子へ
勝敏
自分で不思議なくらい体にやる気が満ち、今にもあふれんばかりです
1972年8月25日付
「ミュンヘンオリンピック」開催の前日に禮子夫人にあてた手紙より
前略 大会も近づき、明日は開会式です。
調子も上がってきております。私も久しぶりに体全体に緊張感がみなぎってきました。その分だけ、素晴らしいトスが上がるわけです。出発前には私はベンチ、嶋岡がスタートということでした。私自身は私でなければと思う気持ちがありました。ここ2、3日の練習では、以前の私と同じ、それ以上とすら思えるほどです。松平さんらもやはり私でなければと思う心が強まったようで、28日第1戦は完全に私にまかせてくれました。自分で不思議なくらい体にやる気が満ち、今にもあふれんばかりです。この気持ちを持ちつづけ、9月8日の決勝に持ち込みます。他の選手、大古や横田、森田らも私を待っていたような感すらあり、私のやる気が乗りうつったみたいに調子を上げてきました。この分だと私の思うまま、ゲーム運びができ、必ず勝利をおさめる自信もあります。
ケガに十分注意して、頑張ります。
お守りは忘れず体につけておりますので安心ください。
もう産休に入ってのんびり暮らしていることと思います。桂子も手がかからず喜ばしいばかりですが、まだまだ子ども。道路の方では遊ばせないように。
ハガキもほとんど出し終わりました。
買い物もあらかた済ませました。
雑用は早めにすませ、試合に全力を出します。
7試合勝てば金(メダル)が取れるわけです。
1点を大切に頑張ります。
テレビ放送もあるでしょう。応援して下さい。
皆様によろしく。
禮子へ
勝敏