A History of Tobacco たばこの歴史
独自に進化した「たばこ」
江戸期の日本では「キセル」による喫煙が広く普及していました。
この章では、その「キセル」に用いられた「細刻みたばこ」と、その
「細刻みたばこ」を生み出した日本の技術力について解説します。
毛髪並みに細く刻まれた「たばこ」
  江戸期の日本で“喫煙”といえば、刻んだ葉たばこを「キセル」に詰めて吸う形態を指します。諸外国でも見られたこの喫煙方法は、葉たばこを細く刻んだ「細刻みたばこ」が登場したことで、日本独自の進化を遂げました。では、「細刻みたばこ」とは、どんな「たばこ」なのでしょうか?
「細刻みたばこ」

日本刀の製造技術を生かした、切れ味抜群の包丁で刻まれた「細刻みたばこ」。現在の大阪府堺市周辺は、専用の「たばこ包丁」の産地として知られていた。

  日本ならではの精巧な技術力から生みだされた「細刻みたばこ」が、世に現れたのは、江戸時代中期(18世紀中頃)のことです。
  「たばこ」には当初、粗く刻まれた葉たばこが用いられていましたが、それがだんだんと細く刻まれるようになり、やがては毛髪のごとく細く刻まれたことで、名称とともに広く普及していきました。これにより日本では、世界でも例をみない独自の喫煙方法が確立されることとなったのです。
刻んで売る!“たばこ屋”の登場
  日本で「たばこ」の製造や販売が産業として発達したのも江戸期のことです。
  喫煙の風習が日本に伝来した当初、「たばこ」を吸う人々は、手に入れた葉たばこを自分で刻むか、“一服一銭”などと呼ばれた露店で購入していました。
  それが、徳川4代将軍・家綱の時代である明暦年間(1655〜1658年)以降には、町中に「たばこ」のみを扱う専門の店舗=「たばこ屋」が見受けられるようになり、そこここに「細刻みたばこ」の製造・販売を専業とする店が増加します。
  通常、家族単位で営まれたそれらの「たばこ屋」では、おかみさん(=かか)が葉たばこの下準備をし、主人(=とと)が葉たばこを刻む“かかぁ巻き ととぅ切り”と呼ばれる形態がとられていました。
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巳刻(=午前10時)に、京都・島原界隈の若夫婦が営む小さな「刻みたばこ屋」に、お使いの少女が「たばこ」を買いに来た様子を現している。
江戸時代の「細刻みたばこ」の製造方法
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手刻みから器械刻みへと移行した「たばこ」
  手刻みから始まった日本での「細刻みたばこ」の製造は、商品としての需要が増加するにつれ、生産性の高い器械を使った製造へと徐々に移行します。

  何種類か考案されたこれらの器械は、かなりの精度で「たばこ」を細く刻むことが可能であり、当時の産業用の器械のなかでは特に精巧な機構を備えていました。また、器機内部で使用する刻み刃や歯車の製造には、金属に細工を施す金工の技術が活かされるなど、他の技術分野との関係も深く結ばれていきました。
かんな刻み機 photo04
江戸期後半の寛政年間(1789〜1801年)末から文化年間(1804〜1818年)の初めに、四国地方で開発された器械。器械内にブロック状に固めた葉たばこを詰め、足元の棒を踏むことで少しずつ葉たばこをせり上がらせ、上部のカンナで細く刻んだ。
ぜんまい刻み機 photo05
江戸期末の弘化年間(1844〜1848年)頃までに発明されたといわれる器械。ハンドル部分を上下動させて包丁を動かし、葉たばこの束を刻む。ハンドルの動きと連動して1〜4個の歯車が回り、刻む速度に合わせて葉たばこが徐々に包丁の前に送り出されるようになっていた。