其の七 煙草は恋の媒(なかだち)

イラスト
たばこのことわざ集
こ
れもキセル全盛時代のお話。

吉原などの遊里では、張見世(はりみせ)の遊女が遊び客の気を引くために、キセルにたばこを詰めて吸い付けたのち、吸口を懐紙でぬぐったものを格子先から差し出したりした。客がそのキセルを受け取れば、遊女の誘いに応じる意思表示であった。

といっても、遊女は誰彼かまわず「吸い付けたばこ」を差し出したわけではない。格子の中から通りを行く男たちを眺めていて、好感のもてる者に差し出したようだ。気心のあった贔屓(ひいき)の客でなければ、そのような仕種(しぐさ )をしないという遊女もいた。

こういうわけで、「煙草は恋の媒」というときの「恋」は、現代でいう恋とは異なって、あくまでも遊里での恋である。

しかし、遊里での恋だからといって、遊びに終始するとは限らない。男女双方に実がこもっていて、真剣に想い合ううちに「末は夫婦」の契りを結ぶようになるケースも多かった。その場合は、男がせっせと働いてお金をため、遊女を身請けした上で、晴れて結ばれたのである。

  遊里での恋にはハッピーエンドもあれば、結ばれぬ悲恋もあった。多くの心中物は後者の例である。悲喜こもごもの遊里の恋であるが、そもそもの馴れ初めが、吸い付けたばこであったということなら、「煙草は恋の媒」とは、なかなか意味深長である。

よく、遊里でもてすぎた男の例に歌舞伎の「助六」が挙げられる。助六が吉原仲之町を通るだけで、道の両側から遊女たちの差し出すキセルが雨のように降ったというセリフがある。男冥利につきるような話であるが、助六には「揚巻」という互いに好き合った仲の花魁(おいらん)がいた。

ともかくも、男女の色恋沙汰にたばこが一役買った時代があったと思うと、一服の味もずいぶん艶やかに感じられるから不思議である。
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