伝統ある喫煙具文化を伝えるために

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伝統ある喫煙具文化を伝えるために 燕市のキセル作りの現場へpartI
image 江戸時代から200年以上も続く、燕市でのキセル作り。 伝統を守り続け、今もキセルを作り続ける 現場とはどのようなところなのでしょう? 初めに紹介するのは、日本でも数少ない 手作りキセルの工房です。 image
現役の手作りキセル職人
 燕市にある「飯塚金属株式会社」は、日本で数少ないキセルの製造・販売会社。プレス加工式キセルを製造しているほか、現役の手作りキセルの職人である飯塚昇さんの工房があります。
飯塚金属株式会社写真
飯塚金属株式会社。昭和25年の創業時から、キセルやライターなど喫煙具の製造・販売を行っています。
 昭和9(1934)年の生まれである飯塚さんは現在71歳。昭和25(1950)年、キセル職人だった父の元に弟子入りして職人への道を歩み始めました。当時は燕市にも数十人の手作りキセル職人がおり、一緒に修行をしていた仲間も4、5人いたとか。工房では1日1,000?1,500本のキセルを作っていたそうです。
 その後、キセル需要の減少もあって昭和45(1970)年ごろ、電気機器の部品作りの仕事に転職。60歳で定年を迎えてから再びキセル職人としての仕事を再開し、手作りキセルを世に送り出しています。
写真: 現役のキセル職人・飯塚昇さん(左)と、昇さんの甥で飯塚金属(株)代表の飯塚景造さん(右)。
父の代から受け継いだ作業台で日々製作
 工場の一角にある工房には、飯塚さんの父の代から使われているという大きなヒノキの作業台が置かれています。そこで飯塚さんは毎日、朝の9時から夕方6時までキセル作りに励んでいます。
 職人として復帰したばかりのころはさすがに以前のようにはいかず、勘を取り戻すまでに約2~3年かかったという飯塚さん。現在は、手作りキセルの名品を、月に20~25本のペースで作っているということです。
写真
工房でキセルを製作中の飯塚さん。金槌(かなづち)や心棒といった製作に欠かせない道具の多くも、父の代から受け継いだもの。
すべて手仕事で製作
「切る」「たたく」「削る」といった、すべての技術を使ってキセルを仕上げていく飯塚さん。ここでは、銀製延べキセルの製作工程の一部を紹介します。昔は「銀を任されれば一人前」といわれていたそうです。
「切る」 「叩く」 「削る」  
写真1 写真2 写真3 写真4
  延べ板にとった型通りにハサミで切り、成型前の原型を作ります。   延べ板が飯塚さんの金槌さばきによって、みるみるうちに形作られていきます。   ヤスリがけをしているところ。100種類くらいほどあるヤスリの中から、作品に応じて10種類ぐらいを使い分けます。   銀の延べキセル。ここから磨きや装飾などが施され、完成品となります。  
市松模様が施されたキセルを作るには?
写真1_1   写真2_1
写真2_2
写真1_2 矢印 写真2_3
写真左のように市松模様が施されたキセルを製作する場合には、写真右のように、色の異なる2つの金属板を細長く切って交互に編み込み、1枚の延べ板を作ることから作業が始まります。現代でも斬新なデザインを生み出す職人の知恵にびっくりです。
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