鶴川女子短期大学講師 井村礼恵さん
井村礼恵さん。
東京学芸大学環境教育研究センターにて

インタビュー

森の文化を生かす(全2回)

鶴川女子短期大学講師 井村 礼恵さん

古くから続く山村には、森との長いかかわりの中で生まれた伝統的な知恵や知識が多くあります。それらを学ぶことは、自然と人間とのよい関係性を知ることになります。
井村さんは、現在、鶴川女子短期大学の講師が本業ですが、「植物と人々の博物館」(※)研究員として植物と人々をめぐる伝統的な知恵を調査研究し、これらを受け継ぎ、秩父多摩甲斐国立公園内での山村振興モデルを提案されています。また、農山村を中心に自然と文化を探求する環境教育のNPO法人である「自然文化誌研究会」の理事もされており、山梨県小菅村を拠点に活動を行っています。今回は井村さんに、山にある畑での雑穀栽培のほか、山での狩猟活動などについてお話をうかがいました。

「植物と人々の博物館」:任意組織であるが、山梨県小菅村教育委員会の承認の下に山梨県北都留郡小菅村の中央公民館に事務局があり、東京事務局が東京学芸大学環境教育研究センター内にある。小菅村にて雑穀栽培講習会や雑穀の収穫など、年間を通して活動している。

  • 第1回
  • 第2回

村で育まれた伝統的な知識を学ぶ

山梨県小菅村との出会い

―小菅村に関わることになったきっかけはなんですか

東京学芸大学の大学院の修士論文を作る際に、調査研究ができるフィールドを探していました。指導教官である学芸大の木俣美樹男先生が30年前から在来品種の研究をしていましたので、私は在来品種の追跡調査をし、環境教育について考えてみることにしたんです。いろいろなフィールドを検討しましたが、山梨県小菅村の役場の方や村民の方の対応が親切だったので、研究初心者の私としては進めやすさを感じ、小菅村に決めました。

―小菅村はどういうところでしょうか

伝統文化がほどよく残っていて、いい意味で田舎度が高いんです。それから、外から来る調査研究者に対して、受け入れる度量が大きいと感じました。また当時、役場に勤める課長に40代の若い方が多いことにも驚きました。地域づくりへのパワーを感じました。その方々は、高校と大学は都会に出て行かれますが、特に長男である場合、卒業後は小菅村に戻って役場など村内に勤められる方たちが多いのです。理由を聞いたら、自ら外で学んだことを村づくりに生かしたいとのことでした。

とにかく歩くこと

―小菅村で感じたことは?

私の修士論文のテーマは、「食をめぐるライフスタイルから見た環境認識」でした。だから、小菅村の生活文化をなんでも教えてくださいという気持ちで村を歩き回りました。小菅村の生活文化は私にとってすべてが新鮮でした。指導教官の木俣先生から、とにかく歩くこと、歩かないと見えてこないと言われました。私は当時車も持っていませんでしたし、ひたすら歩いたんです。

―雑穀についてはどうでしたか

小菅村では、雑穀栽培はすでに減ってはいましたが、各農家に雑穀のことを聞いてまわりました。当時、学生が山村に長期で入り込んで調査をし、地域づくりにも関わることは少ない時代でした。村の人たちからは「なぜ、あの子はこんな田舎のことに興味を持って、一生懸命歩いてまわっているんだろう」とか言われて、大変不思議がられました(笑)。

―村の方たちの反応はどうでしたか

私が生まれ育ったところは仙台市内の新興住宅地でしたので、田舎の生活文化のことはほとんど知らないことばかりでした。恥ずかしいことに、村の人からは、「そんなことも知らないのか」としょっちゅう言われました。それでも、村の人たちに、「そんなに雑穀に興味を持つなら、俺たちが植えてみようか。その代わりおまえ手伝えよ」と言ってもらえたことは本当にうれしかったですね。

伝統的な知恵を見ること

―小菅村で面白かったのは?

村のことをなんでも知りたいと思いました。私は、どう伝えられていくのかという伝承に強い関心を持ちました。もともと伝統的な知恵を見なさいと、指導教官からのアドバイスがあったんですが、歩いている中でもそれが一番面白いと思いました。

―伝統的な知恵ってどのように知るのですか?

伝承を知りたいと思ったときに、ただ単に聞いただけでは分からない。調査経験を通して、ただ「教えてください」と言って教えてもらうのは、食べ物でも表面的なものしか知ることができないのだと感じました。

―そのためにはどんな工夫をされたのですか?

農作業や郷土食の調理加工などを実際に体験しながら調査する参与観察です。すると、その中で出てくる言葉がぜんぜん違ってきました。聞き取り調査だけでは、きれいな言葉を意識的に選んで出てくることが多いんですが、「いやあ、うちのばあさんはこんなことを言っててね」というような、その人の持つ価値観とか、ものごとの見方が出てくるので、口承による文化伝承の世界を知ることができました。本当にとても面白く、興味深いことの連続でした。

―面白そうなお話が出てくるのですね


狩猟の際の着衣。
帽子と腕章を付けて狩猟に入る。

それが猟の話につながっていくのも、その土地特有の口承による伝統的な知恵についてもっと知りたかったからです。村の人が、「小菅にある珍しい食べ物といえば、猟で獲れたものだなあ」「お前、猟で獲れたものを食べてみるか」と、実際に猟をやってみようということになったんです。

狩猟免許取得に挑戦

―実際に猟に参加されたのですか?

猟の話から発展して、やはり、伝承を知るには、狩猟できる資格を取るのが一番だと思いました。実際、狩猟免許取得に挑戦しました。私が狩猟免許を取るときには、村の猟をやっているおじさん連中がみんな手取り足取りで協力してくれたんです。

―女性で狩猟免許を取るなんてすごいですね

狩猟免許を取るのは本当に大変だったけど、それ以上にありがたいと思ったのは、女性である私が男だけの猟の集団に入ることをいいと言ってもらえたことです。「井村は男だから大丈夫」といってくれた。これは究極の受け入れだと思いました。

―珍しいことですね

村社会の中では、女が入れないものが多いんです。ところが私は今、村の神楽の神事でも同席させてもらっています。それは「お前男だからいいよ」というのがあって(笑)、そして、この猟があるんです。実際、全国規模の「またぎサミット」があり、参加したのですが、そこでは私が猟をやっているというと、東北のおじいちゃんに「お前は女だから山に入るんじゃない」と怒られたことがあるんです。やはり山には女性の神がいて、女性を嫌う信仰的なものがあるからなんです。

―山での苦労はありますか

猟で狙うのはシカとイノシシですが、一番大変なのは、犬が獲物を追う“犬かけ”で待っているときです。猟では、犬と一緒に獲物を追う人と待っている人がいて、私は待っている人の役です。待っている人のことを“マチ”と言うんです。まさに待ちの状態で、“タツ”と呼ばれる獲物が来るだろうと予測される位置で待ちます。やっぱり、腕のいい人は特に来る確率が高いタツに立ち、私なんかは来る確率が低い場所を親方に指示されます。雪山の寒い中で、気取られないように(=気付かれないように)、何時間もじっと静かに待っている時なんかは気が遠くなって凍死しちゃうんじゃないかと思ったこともありました。ある時、しーんとした時間が過ぎ、誰からも無線が来なくて、無線が壊れているんじゃないかと雪の中でポツンと独りで不安になって、無線で「あのー、皆さん、どうなんでしょうか」と呼びかけたら、「イムラ、うるさい。静かに待ってろ」と先輩に怒られました(笑)。それでも獲物が捕れたときは、鉄砲ぶち(※)みんなにとって本当に本当に喜びなんです。自分たちで解体して食べる肉は、本当に命をいただいているという食に対する感謝と畏敬の念をとても強く感じます。

鉄砲ぶち:猟師のこと

井村礼恵(いむら ひろえ)

井村礼恵さん プロフィール

井村礼恵(いむら ひろえ)
東京学芸大学大学院教育学修士課程2001年修了。東京農工大学連合大学院生物生産学科博士課程単位取得退学。2001~2004年多摩川源流研究所主任研究員。2005~2008年東京学芸大学環境学習推進専門研究員。2006年から「植物と人々の博物館」研究員。2011年より鶴川女子短期大学講師。NPO法人自然文化誌研究会運営委員、理事を務めている。主な著書に『生活体験学習の構造化に関する試論—環境教育実践の視点から』(高文堂出版社)、『多摩川源流こすげ鉄砲ぶち』(多摩川源流こすげ狩猟文化誌研究会)など。
井村礼恵さん インタビューINDEX
第1回 村で育まれた伝統的な知識を学ぶ
第2回 地域の良さを知り、伝える