鶴川女子短期大学講師 井村礼恵さん
井村礼恵さん。
東京学芸大学環境教育研究センターにて

インタビュー

森の文化を生かす(全2回)

鶴川女子短期大学講師 井村 礼恵さん

古くから続く山村には、森との長いかかわりの中で生まれた伝統的な知恵や知識が多くあります。それらを学ぶことは、自然と人間とのよい関係性を知ることになります。
井村さんは、現在、鶴川女子短期大学の講師が本業ですが、「植物と人々の博物館」(※)研究員として植物と人々をめぐる伝統的な知恵を調査研究し、これらを受け継ぎ、秩父多摩甲斐国立公園内での山村振興モデルを提案されています。また、農山村を中心に自然と文化を探求する環境教育のNPO法人である「自然文化誌研究会」の理事もされており、山梨県小菅村を拠点に活動を行っています。今回は井村さんに、山にある畑での雑穀栽培のほか、山での狩猟活動などについてお話をうかがいました。

「植物と人々の博物館」:任意組織であるが、山梨県小菅村教育委員会の承認の下に山梨県北都留郡小菅村の中央公民館に事務局があり、東京事務局が東京学芸大学環境教育研究センター内にある。小菅村にて雑穀栽培講習会や雑穀の収穫など、年間を通して活動している。

  • 第1回
  • 第2回

地域の良さを知り、伝える

山を面で見る

―猟で感じたことはなんですか?

世界的な山を登る登山家で小菅で猟もする知人と話をしていて、思わず納得したのが、「登山する人は山を線で見る。山で猟をする人、つまり、鉄砲ぶち(※)は、山を面で見る」と。私はその見方がとても大事だと思って地図を作ったんです。それは、鉄砲ぶちだけが言い伝えてきた地名を入れた地図なんです。

鉄砲ぶち:猟師のこと。

―どんな地名が出てくるのですか?

たとえばイノシシのヌタ場(※)。鉄砲ぶちは哺乳類の生態を本当によく知っていて、それを伝えてきているんです。哺乳類の生活だけでなく、植生の様子だったり、キノコだったり、水場だったり、山をトータルで見ている。それが分かっていないと冬の山で猟ができないのです。

ヌタ場:イノシシやシカなどの動物が、体の表面に付いているダニなどの寄生虫や汚れを落とすために泥を浴びる場所のこと。

―山を全体で見るって独特ですね

鉄砲ぶちは、猟をするのは冬ですが、春には山菜採り、秋にはキノコ採り、畑作業もします。畑は家より山寄りの日の当たるところにあるんです。沢にはワサビ田もあります。畑をやること自体が山を観察することにつながっているんです。

年間を通して山を見る

―鉄砲ぶちは、ほかに何をされていますか?

鉄砲ぶちのほぼ全員が畑を持っていますが、ほとんどが自家消費です。現在、多く栽培されているのは、芋類やトウモロコシですね。トウモロコシといっても、甲州系の在来品種の地元では“ムカシモロコシ”と呼ばれているものです。粉にして饅頭にして食べます。

―釣りはどうですか?

猟をする人はだいたい釣りもします。ヤマドリやキジの羽を使って釣具にします。3月から9月が釣りの時期です。釣りといっても、イワナやヤマメを狙った山の渓流釣りです。やはり、山なんです。釣りをしながら「今年の熊はどんな状態かな」って、熊のいる穴を見に行きます。ここでも、鉄砲ぶちは年間を通して山を見ていることが分かります。

森と海も価値観は同じ

―山と比べて、ご出身の海はどうですか

今回、3.11の震災で、私は石巻市に住む叔父も叔母も祖母も亡くし、2011年はいろんなことを考えた年でした。親戚は水産業も営んでいたし、弟も気仙沼で水産関連の会社に勤めています。今まで親戚から海苔やワカメなどいろいろな水産物をいただいていましたけど、震災前に送られていた水産物を見たとき、もうこれらの海苔もワカメも食べることができないのだなと。

―早く復興されるといいですね

私は、今、弟の住んでいる気仙沼に自分の短期大学の学生を連れていって、保育所や仮設住宅で交流を通したメンタルケアなど、被災地のボランティアをやっていますが、弟に現地説明をしてもらっています。本来、なぜ海の方にせりだして生活が発展していたのか。それは迅速に新鮮なものが食べたいと、私たちが求めていたからではないか。今回、気仙沼で一番被害が大きかったのは、100年前には無かった埋め立ての部分だそうです。利便性、快適性を追い求めていたものが津波で消えた。それは私たちの問題ではないか。誰が海を守るのか、誰が森を守るのか、そこに暮らす人だけの問題ではないと思います。

―学ぶことが多いですね

私は、これまで民俗植物学の視点で環境教育をしてきたので、人と植物の関係を考えようという視点を教育に盛り込んできましたが、これからは、より一次産業に対し、恩恵を被っていることや、自分との関係を考えなくてはならないし、もっと発信していかないといけないんだなあと感じています。海の話も森の話も、価値観は同じだと思います。

地域の良さを広く世の中に伝えたい

―最後にNPO活動について教えてください

自然文化誌研究会はできたのが古く、私が生まれた1975年に学芸大学で発足しています。もともと学校の先生たちを中心として、「学校教育でできないものは何か」と議論を重ねて始まったものです。学芸大学には、学術探検をする冒険探検部があって、秩父多摩甲斐国立公園での調査とか、アイヌ民族の自然環境に寄り添った生活文化の調査を、地元住民の方々の協力で行ってきました。それらの調査結果を生かし、農山村をフィールドとして子ども対象の冒険学校を行い、環境教育のパイオニアを育てたいと自然文化誌研究会を立ち上げました。2004年4月よりNPO法人になり、今、小菅村に事務局を置いています。

―博物館の活動もありますね


植物と人々の博物館プロジェクトとして、
2009年に開発された学芸大認定
「雑穀発泡酒」

「植物と人々の博物館」は、民族植物学と環境教育を視点とした研究活動をする任意の博物館です。小菅村との関係では、小菅村のエコミュージアムの概念をもとにした地域づくりをしています。研究員は日本全国にいます。博物館は寄付と会費で運営されていて、今、会員数は約50名です。小菅村での日常業務はNPO法人の自然文化誌研究会に委託しています。博物館では民族植物学講座として、小菅村で雑穀栽培講習会や雑穀の収穫体験会を行ったり特別展示を開催したりと、年間を通して活動し、多くの参加者を募っています。

井村礼恵(いむら ひろえ)

井村礼恵さん プロフィール

井村礼恵(いむら ひろえ)
東京学芸大学大学院教育学修士課程2001年修了。東京農工大学連合大学院生物生産学科博士課程単位取得退学。2001~2004年多摩川源流研究所主任研究員。2005~2008年東京学芸大学環境学習推進専門研究員。2006年から「植物と人々の博物館」研究員。2011年より鶴川女子短期大学講師。NPO法人自然文化誌研究会運営委員、理事を務めている。主な著書に『生活体験学習の構造化に関する試論—環境教育実践の視点から』(高文堂出版社)、『多摩川源流こすげ鉄砲ぶち』(多摩川源流こすげ狩猟文化誌研究会)など。
井村礼恵さん インタビューINDEX
第1回 村で育まれた伝統的な知識を学ぶ
第2回 地域の良さを知り、伝える